「山形県レスリング協会」が“機能停止”の衝撃…日本の「お家芸競技」レスリングが「国スポ」正式種目から“降格”危機も
正式競技から格下げ?
この一件を私が取り上げ、読者に問いかける理由は主にふたつある。
ひとつは、山形県レスリング協会の機能停止が「思いがけないところ」へ飛び火している、そのおかしさを共有したいからだ。
山形県レスリング協会の機能停止には日本レスリング協会首脳も頭を痛め、正常化への動きを始めている様子が窺える。しかしその主な懸念は、「このままでは、レスリングが国スポの正式競技から格下げされる」という恐れのためであり、「レスリングの普及や健全な発展のために」という本質的な危機感と別のところで焦っている感が窺える。「現在と未来のレスリング選手・愛好者のために」ではなく、「レスリングの立場を守るため」彼らは気を揉んでいるように感じられる。
国スポの規定を見ると、正式競技の基礎的条件として「47都道府県に中央競技団体支部組織があり、47都道府県体育協会に加盟していること」と規定がある。これはあくまで新たな競技を採用する際の普及実態を確認するための要件ではないのか? レスリングのような伝統競技にもこれが適用され、ある県協会が一時的に休止したことで正式種目から降格され、他都道府県の選手も連帯責任を負わされるという理不尽な措置が本当に取られるのだろうか? 規定に厳格であればそうかもしれない。だが、スポーツ界はなぜ、自らが決めたルールで自分たちを縛り、本質と違うところで躍起になるおかしな分野に成り下がっているのか。私にはそれが残念でならない。
新体制の発足を
日本レスリング協会から「早く県協会を新設するように」と複数の関係者に働きかけがあり、21日には山形市内の高校で新協会設立のための検討会議が行われた。参加したのは8名。うち7名が高校の教員でレスリング指導者。1名が中学校教員。この顔ぶれを見る限り、地方でレスリングの普及に情熱を注ぎ、切実に大会参加の正常化を求める人は競技関係者だけ。しかも高校生年代が中心だという実態が浮かび上がる。これでレスリングという競技の未来は大丈夫なのか? 協会の存在目的は「選手強化」「大会の開催」「目指すは五輪の金メダル」、それだけでレスリングは(広く言えばスポーツは)社会で役割を果たせるのか? 本当はここの議論や改善こそが重要な課題だ、それが私の提言したいもうひとつの重要事項だ。
レスリングは、「オリンピックで日本が金メダルを獲れる競技だから重要」なのではない。子どもたちの世代でもコミュニケーション不足が深刻な課題となる中、身体をぶつけあい、マットを転がって、理屈抜きに肌感覚で自分と相手を感じあえるスポーツ。しかも、力だけでなく技があり、技を学ぶことで自分が思う以上の面白さで相手を翻弄できる。身体を通してそれを実感し覚醒する、そういう意味で意義のある活動ではないか。そうしたレスリングの深みを啓蒙し、子どもたちに体験する機会を提供する努力こそ、地方協会の重要な活動目標のひとつではないのだろうか。
そのためにも、レスリング指導に携わる教員だけで新しい協会構想を展望するのでは十分と言えないだろう。必要な財源をどう確保するかも含め、もっと幅広い見地から専門家、情熱家の叡智を結集して新体制が発足するよう願ってやまない。








