「4年神様、3年貴族、2年平民、1年奴隷」体育会の厳しい上下関係は大きく変化――青山学院大学・原晋監督が振り返る「苦い経験」
2025年、広陵高校(広島県)の硬式野球部で上級生から下級生に対する暴行が、仙台育英高校(宮城県)のサッカー部で同級生からの暴言が発覚し、スポーツ名門校で起こった「事件」はひときわ大きな関心を呼んだ。
高校に限らず大学でも、また指導者から学生らに対しても「運動部」では薬物問題や性暴力、パワハラなど不祥事が後を絶たない。スポーツ界の閉鎖的な環境で起こる歪んだ対人関係はどう変わってきたのか、どう変わらなければならないか――。スポーツ心理学にアドラー心理学を取り入れた第一人者・九州大学大学院准教授の内田若希氏の新刊『意味ある敗北とは何か アドラー心理学で読み解くトップアスリートの言葉』より一部を再編集して紹介する。
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年の差は絶対のルールではない
時代が変化するにつれて、日本社会の対人関係のあり方も変わりつつあります。近年では、海外に見られる対人関係のように、気心の知れた先輩に対して、敬語を使わずに気軽に話しかける若者を目にすることもあります。このように、昔と比べて「タテ」の関係は和らぎつつありますが、それでも競技スポーツにおいては、指導者とアスリートといった立場や、先輩・後輩などの学年や年齢に基づいた「タテ」の関係が、今もなお存在しています。語弊を恐れずに言うなら、年の差は絶対のルールであり、アスリートより指導者、後輩より先輩が偉いという封建的な体質が残っているのです。
また、理不尽な暗黙のルールが、運動部活動やスポーツチームに当たり前のように存在していることもあります。つぎに挙げる例を読んで、みなさんはどのように感じるでしょうか。
・道端で先輩を見かけたら、先輩が通り過ぎるまで1年生は立ち止まってお辞儀をする。
・同じ寮で生活する先輩に呼ばれ、「◯◯駅前のコンビニのコーラが飲みたい」と言われれば、たとえ寮の近くにコンビニがあったとしても、遠く離れた◯◯駅まで自転車に飛び乗って向かう。
・学校の行き帰りに、先輩と同じ電車の車両に乗ってはならず、先輩がいたらすぐお詫びをして隣の車両に移動する。
これらは実際に私が見聞きしたことのあるものの一部です。
また、このような厳しい上下関係があったからこそ、社会人になってしんどいことがあっても「あの頃」に比べれば大抵のことは楽に感じるし、逆境に強くなれた、忍耐力がついたといった話や、会社の飲み会で先輩や上司のグラスに目を配り、相手のお酒を切らさないように配慮して褒められたなどといった話が、まるで武勇伝のように語られることさえあります。
■ピラミッド構造は時代遅れ
その一方で、最近の学生に、一昔前まで体育会の厳しい上下関係を表す言葉として使われていた「4年神様、3年貴族、2年平民、1年奴隷」を知っているか尋ねると、ほとんどの学生が知らないと首を横にふります。この先輩・後輩におけるピラミッド構造を表す言葉が、時代遅れの産物として徐々に風化していることを肌感覚で感じるようになってきました。この変化の要因の1つに、すでに述べたように、グローバル化や価値観の多様化が進み、多種多様な人々と協働しながら生きる時代が到来したことが考えられます。
また、チームや組織を率いるリーダーのあり方が変化したことも関係があると思っています。多くの場合、運動部活動やスポーツチームにおけるリーダーは、指導者やキャプテンがその役割を担っていますが、1980~2000年代は彼ら・彼女らがリーダーシップを発揮して、その運動部活動やスポーツチームの先頭に立ち、目標の達成に向けてチームをまとめ、引っ張っていくことが求められました。しかし、近年のトップチームにおけるリーダーのあり方は大きく様変わりしてきました。
2018年、坊主頭の強制がなく、自由な髪型を認めていることで話題となった慶應義塾高校野球部は、強豪校がひしめく神奈川県で春夏連続甲子園出場を成し遂げました。
チームを率いていた森林貴彦監督は、高校生を子ども扱いし、指導者側が無意識のうちに上下関係を生みだしていることに対して、「これでは本当の意味で、良いコミュニケーションを図ることはできません。一人の人間同士として意見交換するときには、お互いの関係性がフラットであることが大前提」(森林貴彦『Thinking Baseball 慶應義塾高校が目指す“野球を通じて引き出す価値”』 東洋館出版社 2020年)と述べています。
また、2009~2017年度にかけて、全国大学ラグビーフットボール選手権を9連覇した帝京大学ラグビー部は、部内に体育会の厳しい上下関係がないことで有名です。
大学1年生は、高校から大学に入学して環境が変化し、ストレスを抱えることも少なくありません。帝京大学では大学1年生の履修科目数が多いこともあり、上級生が掃除などの日々の雑務をこなすことで1年生の時間的・精神的な負担を緩和し、各自が自己研鑽できる環境を整えています。
その結果、帝京大学OBの吉田杏選手(現・三菱重工相模原ダイナボアーズ)が、「(1年生の時は)時間に余裕があって、楽しかったです。(中略)1年生の時に良くしてもらったことが嬉しかったので、『自分がされたことを1年生にもしてあげたい』と思いました。そういう良い文化が繰り返されていると思います」(2018年10月7日 NumberWeb)と語るように、互いに支えあうチームの雰囲気が形成されています。
このように、現代において求められるリーダー像は、指導者やキャプテン、上級生などの年長者がリーダーとして先頭に立ち、トップダウン的に指示や命令を行う構造が暗黙の前提にあった旧来のアプローチとは異なり、メンバーの主体性を大事にするアプローチへとパラダイムシフトしてきました。
■心理的な優劣が「タテ」の関係をつくる
以上のように、競技スポーツにおける対人関係は、徐々に変化してきました。そして、近年求められている競技スポーツの対人関係のあり方に、アドラー心理学が大切にしている「共通の目標に向かって課題を解決するために、年齢や立場に関係なく対等に協力しあう対人関係(=「ヨコ」の関係)」がマッチしたことで、競技スポーツの様々な場面でアドラー心理学の考え方が受け入れられるようになってきたと感じます。
そもそも「タテ」の関係とは、厳密にいえば年齢や立場上の上下関係を指しているわけではなく、心理的にどちらが上かを争っている関係を意味するものです。けれども、指導者、親、先輩などよりも、アスリート、子ども、後輩という立場のほうが相対的にみて心理的に劣勢であるため、「タテ」の関係=年齢や立場上の上下関係となっている場合がほとんどです。
一方で、同年齢の中で飛び抜けて優れた成果を上げているアスリートや、自分より能力の高い年下の後輩に対して引け目を感じた経験はないでしょうか。このような場合は、年齢や立場とは無関係に、それらの相手に対して心理的に劣勢な状態に自分を置いていることになります。あるいは、先輩よりも競技レベルが高い後輩が、「自分は先輩より競技レベルが上で結果を残しているから、先輩の話に耳を貸す必要などない。適当に聞いておけば良いだろう」と心の中で考えているなら、心理的に優勢にあるのは後輩のほうになります。
全国トップクラスの即戦力を集めた結果
このことを理解する上で、青山学院大学陸上競技部の例が参考になるので紹介したいと思います。2015年の第91回東京箱根間往復大学駅伝競走(以下、箱根駅伝)において、青山学院大学を同大学史上初の往復路・総合優勝に導いた大学駅伝界の名将・原晋監督は、監督就任から3年目に結果をだす必要性を感じて焦っていました。そのため、記録を優先して全国トップクラスの即戦力となるアスリートに声をかけ、最初の目標としていた箱根駅伝出場を目指すことにしたのですが、この時の苦い経験をつぎのように振り返っています。
「その目論見はもろくも崩れました。お願いして来てもらった選手たちは寮則、門限を守らず、まともに練習もしなかったのです。しかし、ずば抜けた素質を持っていたことで、他の部員は腫れ物にさわるように遠巻きに見ているしかありません。彼らには『来てやったんだ』という思いが強かったのだろうと思います」(2025年1月2日 NumberWeb)
これはまさに、年齢や立場上の上下関係とは無関係に、心理的に優勢である者が上に立つ「タテ」の関係となっています。そして仮に、心理的に優勢に立ったアスリートが、「自分たちは『来てやったんだ』から、自分たちが偉い」といった傲慢さや、「自分たちがいなければ勝てないくせに」と他の部員を見下すような気持ちを意識的であれ無意識的であれ持っている状況に陥ると、その集団の対人関係に亀裂が生じることは想像に難くありません。
アドラーは、「人生の課題はすべてそれが解決されるためには、協力する能力を必要とするのである」(アルフレッド・アドラー『人生の意味の心理学〈新装版〉』 アルテ 2021年)と述べていますが、競技スポーツにおいても、成し遂げたい目標に向かう中で直面する課題を解決するために、指導者とアスリート、親と子ども、先輩と後輩など、すべての人がともに協力しあう「ヨコ」の関係が大切なのです。
※本記事は、内田若希著『意味ある敗北とは何か アドラー心理学で読み解くトップアスリートの言葉』(新潮社)の一部を再編集して作成したものです。











