「魔物が住む」五輪では「超ジコチューでいい」――内村航平が金メダル候補に贈った言葉の真意
いよいよ始まったミラノ・コルティナ2026冬季五輪。4年前の北京五輪では金3、銀7、銅8と冬季五輪最多となる18個のメダルを獲得した日本だが、今回はそれを上回るメダルが期待されている。
金メダル候補だけでも、高木美帆(スピードスケート)、小林陵侑(スキージャンプ)、丸山希(スキージャンプ)、鍵山優真(フィギュアスケート・シングル)、坂本花織(フィギュアスケート・シングル)、三浦璃来・木原龍一(フィギュアスケート・ペア)、平野歩夢(スノーボード・ハーフパイプ)、堀島行真(フリースタイルスキー・モーグル)、村瀬心椛(スノーボード・ビッグエア)、木村葵来、荻原大翔(スノーボード・ビッグエア)、三木つばき(スノーボード・パラレル大回転)など、多くの選手が名を連ねる。
とはいえ、「魔物が住む」と言われる五輪。荻原大翔選手も予選1位で通過しながらもメダルには届かなかった。しかし、彼のこれまでの努力と挑戦は評価されこそすれ、批判されることでは決してない。
オリンピックと世界選手権で8連覇を成し遂げた体操個人総合の内村航平選手も金メダル候補として臨んだロンドン五輪の際、大きなプレッシャーを感じていたと話している。そんな内村選手は、パリ五輪で同じく金メダル候補と言われた後輩へ「超ジコチューでいいと思う」とアドバイスしたという。果たしてその真意とは。
スポーツ心理学にアドラー心理学を取り入れた第一人者・九州大学大学院准教授の内田若希氏の新刊『意味ある敗北とは何か アドラー心理学で読み解くトップアスリートの言葉』より一部を再編集して紹介する。
***
「いろいろな人から応援してもらうし、サポートを受けてると思うんだけど、その感謝の気持ちとかってあるじゃん。それに対して恩返ししたいとかって、あると思うんだけど(中略)頑張るときはもう自分のことだけ考えてやってほしいなっていう。もう周りとか関係なく、超ジコチューでいいと思うし、自分のためだけに」(2024年1月11日 NHK NEWS WEB)
――内村航平選手(体操)オリンピック3大会メダリスト
何のために「思い通りのプレー」をしたいのか
アドラーは、人間が抱える悩みとは、「すべて対人関係の悩みである」と考えました。人間は他者との関係性の中で行動し、発達していく社会的な生き物です。このため、人の悩みや問題は、個人の中だけで自然発生的に生じるのではなく、必ず「相手役」がいて、その相手役との対人関係上で発生します。
つまり、私たちは、家族や友人、指導者やチームメイト、職場の同僚や上司、スーパーの店員や宅配便のドライバーなど、多くの人々との関係性の中で暮らしていますが、これらの周囲の人々との対人関係に起因して、私たちの悩みが生じるのです。これが、アドラー心理学における「対人関係論」の基本的な考え方になります。
もしかすると、他者は無関係で、自分だけの問題に見える悩みもあるかもしれません。競技スポーツにおいて、大事な場面で自分の「思い通りのプレー」ができない時に、「何をやっているのだ、自分は!」と自分自身に対して怒りや失望の感情を抱き、そのまま自己コントロールを失って負けてしまうアスリートがいます。
一見すると、怒りや失望の感情を向けた相手は自分であって、対人関係の悩みではないように思えますが、目的論の立場から「何のために『思い通りのプレー』をしたいのか」を考えてみると、他のアスリートに勝つためであったり、指導者や親に認められるためであったり、大事な場面で得点を決める自分を他者に誇示するためであったりと、様々な目的が潜んでいることがわかります。
同じように、「自信がない」「自己肯定感が低い」などの自分自身に関する悩みも、自分より優れたアスリートと比較したり、指導者や親からの評価を気にしたりすることから生まれます。あなたが指導者やアスリートの親で、「ついイライラして、アスリート/子どもを怒鳴ってしまう」といった自分自身の行動を変えたいと悩んでいるなら、それは自分の思い通りに動かない他者(アスリートや子ども)が存在するからですし、誰もいない虚空に向かって怒鳴りつける人などいないはずです。そもそも、この世界に他者が誰もいなければ、「競技スポーツ」という概念が存在しないでしょう。
「ウサイン・ボルトより金メダル確実」と言われていた
2008年の北京を皮切りにオリンピック4大会に連続出場し、合計7つのメダルを獲得した内村航平選手は、前人未到の功績を数多く残してきました。特に、男子個人総合(ゆか、つり輪、あん馬、跳馬、平行棒、鉄棒の6種目を一人で実施)では、オリンピックと世界選手権の世界大会8連覇という大記録を打ち立て、「体操界のレジェンド」と称されています。
そんな内村選手が、ロンドンオリンピック(2012年)を目指して練習をしていた2011年3月11日、未曾有の被害を引き起こした東日本大震災が発生しました。その日、いつも通りに練習をしていた内村選手は、ロンドンオリンピック直前につぎのように述べています。
「あの震災があった時、僕は練習中で、あんなに強い地震を経験するのは初めてでした。テレビをつけたら映画のような映像ばかり流れていて、これが本当に日本で起きているのかと信じられない気持ちでした。翌日も普通に練習していましたが、このまま練習していていいのかという思いもありました。結局、選手をやっている以上は演技で人々を元気にさせなくてはいけないなという気持ちでやってきました」(2012年8月22日 財団法人上月スポーツ・教育財団30周年記念誌)
結果だけを見れば、内村選手はロンドンオリンピックの男子個人総合で金メダルを獲得しています。ところが、内村選手は当時を振り返り、「ロンドン大会で『ウサイン・ボルトより金メダル確実』と言われていた状態だったのね。(中略)東日本大震災もあったし、すごくいろいろな人に応援してもらっていて、その人たちのためにもすごくいいものを出そう、というのがあったんだけど、自分の目標としていたものに比べて全然だめで。そういうことを考えた時点で負けなんだなと思った」(2024年1月11日 NHK NEWS WEB)と語っています。
「今の自分」が何をするのかに集中することが大切
金メダルが確実に獲れるだろうという周囲の期待、応援してくれている人たちや被災地の人々に体操で活力を届けたいという想いは、いずれも他者との関係性の中で生じるものです。それらの要因が、おそらく無意識のうちにプレッシャーとなってのしかかり、内村選手のパフォーマンスに影響したのではないでしょうか。それによって、結果として金メダルは獲れたものの、自分が目指す理想の体操ができなかったという悩みが生じたと解釈できます。
冒頭の言葉は、「内村航平の後継者」として期待をかけられ、また周囲から内村選手と比較されることも多かった橋本大輝選手(東京オリンピック金メダリスト)がパリオリンピックで個人総合の連覇を目指していた時期に、内村選手が対談で橋本選手にかけた言葉です。ロンドンの時の苦い経験があったからこそ、内村選手はこの言葉を橋本選手に贈ったのではないでしょうか。
(中略)人間は誰でも、今より少しでも良くなりたいと思って生きているものです。ほんのわずかでも前進し、理想の自分に近づきたい、その目的を達成するために、「頑張るときはもう自分のことだけ考えて」今の自分が取り組む必要のあることに集中すれば、不要な悩みに囚われることなく、望む未来に向かって進んでいけるのです。
そして、内村選手は同対談で「自分が出した結果が、その恩返しという形になると思う」とも語っています。自分の目的を達成するために、まずは「今の自分」が何をするのかに集中することが大切であり、そのプロセスで得られた結果が最終的に他者の貢献になることを理解したアスリートの、力強い言葉であるように感じませんか。
※本記事は、内田若希著『意味ある敗北とは何か アドラー心理学で読み解くトップアスリートの言葉』(新潮社)の一部を再編集して作成したものです。










