高梨沙羅選手への「メイクバッシング」は何だったのか それでも誹謗中傷を非難しなかった彼女の強さとは
2014年のソチ五輪を皮切りに、平昌、北京、ミラノ・コルティナと4大会連続で冬季五輪に出場し、女子スキージャンプを牽引してきた高梨沙羅。近年はW杯の表彰台に上がることは少なくなっていたものの、今五輪、女子ノーマルヒルで銅メダルを獲得した丸山希も、高梨選手のことを「ずっと憧れ続けた」選手と語っている。
ジャンプ混合団体で銅メダルを獲得した高梨選手だが、20歳前後からメイクを始めると、ネットを中心に誹謗中傷とも言えるバッシングにさらされてきた。男女問わず、様々なアスリートたちから擁護の声が挙がっても続いた批判に、高梨選手がどれほど心を削られたのか、想像に難くない。
しかし高梨選手は批判にも「意見はあって当たり前」(2025年7月1日 Red Bull アスリートストーリー)と語っている。自分も他人も否定しない高梨選手に学ぶべきこととは……。
スポーツ心理学にアドラー心理学を取り入れた第一人者・九州大学大学院准教授の内田若希氏の新刊『意味ある敗北とは何か アドラー心理学で読み解くトップアスリートの言葉』より一部を再編集して紹介する。
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メイクは“深呼吸”みたいなもの
「アスリートだって、自分の“好き”を楽しんでいいじゃないですか。メイクとか、わたしにとっては“深呼吸”みたいなものなんです(中略)“競技に集中してない”って言われたこともあるけど、私にとっては逆。“自分を大切にできてるか”が、結果にもつながる(中略)自分のことを好きでいられる時間が増えると、自然とジャンプも良くなる。どんな時も自分で自分を支えられるようになることが、大事だと思うんです」(2025年7月1日 Red Bull アスリートストーリー)
─―高梨沙羅選手(スキージャンプ) 平昌オリンピック銅メダリスト
人は誰でも、これまでに自分が体験した過去の出来事や記憶などによって作られた、独自のモノの見方や考え方、価値観などを持っています。この独自のモノの見方や考え方、価値観のことをアドラー心理学では「私的論理(プライベート・ロジック)」と呼びます。わかりやすい言葉で言い換えるなら、私的論理とは「自分のメガネ」です。この自分のメガネを通して、私たちは目の前で起きている事象を解釈したり、自分流に意味づけしたりした上で、どのように行動するかを決めているのです。これが、アドラー心理学における「認知論」の基本的な考え方です。
自分のメガネは人それぞれに異なり、100人いれば100通りのメガネがあります。生まれた時から今、この瞬間まで、あなたと1秒たりとも違わずに同じ体験をして生きてきた人は存在しません。たとえ家族であって、同じ学校やチーム、職場に所属している人であっても、自分と同じメガネをかけている人はいないのです。このため、誰もが独自のメガネをかけて世界を見ており、同じ出来事に遭遇したとしても、その受け止め方や行動は人によって異なります。
「メイクをする暇があるなら練習しろ」
さて、みなさんは女性アスリートがメイクをして試合に出場した際に、どのような感想を持つでしょうか。女性アスリートのメイクをめぐっては、以前から様々な議論がなされてきました。メイクをしている女性アスリートに対して、「チャラチャラしている」「異性の目を意識している」のように、行為そのものに対してネガティブな感想が寄せられたり、「メイクをする暇があるなら練習しろ」「外見ばかり気にして競技に集中していない」「競技への覚悟が足りない」など、競技スポーツと結びつけた批判的な意見が浴びせられたりしてきました。
アスリートではない一般の女性が「メイクをしてキレイになりたい」と口にしても、ほとんどの人は違和感を持たないはずなのに、女性アスリートがメイクに興味を持つと、眉を顰める人がいるのはなぜなのでしょうか。それは、「アスリートとはこうあるべき」「アスリートにはこうあってほしい」という自分の考え方や価値観=自分のメガネを通して、メイクが競技スポーツにおいて不要なもの、パフォーマンスに悪影響を及ぼすものと解釈しているためです。
メイクを好む女性アスリートとして、スキージャンプの高梨沙羅選手はよく知られた存在だと思います。高梨選手は、20歳前後からメイクを始め、大会に参加する際にも欠かさずメイクをして臨んできました。冒頭の高梨選手の「アスリートだって、自分の“好き”を楽しんでいいじゃないですか。メイクとか、わたしにとっては“深呼吸”みたいなものなんです」という言葉にあるように、高梨選手にとって、「メイクをすること」は競技スポーツにおいてマイナスの要素を意味するものではなく、自分にとって当たり前のもの、必要なものとして日常の中に根づいていることがわかります。
女性アスリートへのネガティブな固定観念を変える力
また、高梨選手にとってメイクをすることは「自分を大切にできてる」「どんな時も自分で自分を支えられるようになる」ことの象徴であり、その結果として高梨選手の強さを支える確固たる自分軸が創りだされているのではないでしょうか。
同様に、メイクによって競技スポーツに向かう気持ちを高めたり、強気で自信があるように見えるメイクを方略の一つとして取り入れたりしているアスリートもいます。このように、女性アスリートが「メイクをすること」に対してネガティブな考えを持つのか、あるいはポジティブな意味づけをするのかは、人それぞれの自分のメガネによって異なるのです。
高梨選手は2010~2011シーズンの国際スキー連盟(現・国際スキー・スノーボード連盟)公式戦で、女子選手史上最年少の優勝記録を樹立して以降、多くの大会を制しています。2021~2022シーズンには、ワールドカップ通算63勝を挙げ、男女を通じて歴代最多優勝記録という大記録を樹立しています。また、平昌オリンピック(2018年)では、女子個人ノーマルヒルで銅メダルも獲得しました。
これらの多くの功績を前に、高梨選手に対して「競技への覚悟が足りない」などと思う人は、ほとんどいないでしょう。高梨選手というアスリートとの出会いによって、「女性アスリートがメイクをすること」に対して作られたネガティブな自分のメガネが、ポジティブなものに変わった人もいるかもしれません。もしそうなら、高梨選手が残してきたものは、競技スポーツの功績だけでなく、日本社会の女性アスリートに対するネガティブな固定観念さえも変える力だったと思えてきます。
なお、競技スポーツにおいては、「勝利=誰にとっても嬉しいもの」とみなされがちですが、自分のメガネを踏まえて考えるなら、すべての人にとって同じ意味になるとは限りません。所属しているチームが劇的な逆転勝ちを収めてみなが歓喜に沸く中で、一人だけ浮かない顔をするアスリートがいることもあります。自分のメガネに映しだされる世界は一人ひとり異なっているので、単に「勝利して良かった」で終わらずに、アスリートが勝利やその試合に対してどのような意味づけをしたのかを確認し、それぞれのアスリートが見ている世界を大切にすることが重要です。
あくまで自分にとっての主観にすぎない
日々の生活の中で、自分には理解できない、自分から見ると不適切に思われる他者の思考や行動に出会うことがありますが、それらはすべて自分のメガネを通して「理解できない」「不適切だ」と解釈しているにすぎません。前述の女性アスリートがメイクをすることに対して、「チャラチャラしている」「異性の目を意識している」と感じたり、「メイクをする暇があるなら練習しろ」「外見ばかり気にして競技に集中していない」「競技への覚悟が足りない」のような意見を持ったりするのは、自分のメガネを通して「理解できない」「不適切だ」と解釈しているわかりやすい例だと思います。
この自分のメガネには、誰のものが「良い・悪い」という優劣や、「正しい・間違っている」という善し悪しはありません。あくまでも自分にとって「そう見える」「そう思える」という主観にすぎず、アドラーの言葉を借りれば、いつでも「全ての意見は唱える本人から見ると正しい」(『現代に生きるアドラー心理学 分析的認知行動心理学を学ぶ』)のです。ですから、本質的には、女性アスリートがメイクをすることに対して、否定的に受け止めても良いし、好意的に捉えても良いのです、女性アスリート自身も、メイクをしても良いし、しなくても良いのです。
問題となるのは、自分のメガネが正しい、自分は間違っていないと思い込み、自分の基準で相手を変えようとすることです。アドラーは「健全な人は、相手を変えようとせず自分が変わる。不健全な人は、相手を操作し、変えようとする」(小倉広解説『アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉』 ダイヤモンド社 2014年)と述べていますが、メイクをして大会に出場する女性アスリートに対して批判的な意見を浴びせるというのは、「メイクはすべきではない」という自分のメガネが正しいと思い込んで相手を変えようとしているのであって、不健全な行為なのです。
意見の善し悪しを争うことはしない
先ほどから例に挙げている高梨選手は、「意見はあって当たり前。それでも、自分のスタイルを持ち続けたいんです」(2025年7月1日 Red Bull アスリートストーリー)と述べ、メイクをすることに対する意見の善し悪しを争うことはしませんでした。高梨選手のように、自分のメガネを他者に押しつけることなく、日常生活や競技スポーツの場面で心を整えるために、自分の世界の見え方を広げる練習をしてほしいと思います。そのための方法の一つは、相手の考えや価値観、状況などに対して、最大限に思いを巡らせることです。
具体的には、「相手の目で見、相手の耳で聞き、相手の心で感じる」(岩井俊憲『勇気づけの心理学 増補・改訂版』 金子書房 2011年)ように努めることです。そして、「もしかして……」「ひょっとすると……」と想像を膨らませてみると、今まで見えていなかった視点や相手の真意に気づけるようになるでしょう。
ただし、一つだけ注意してほしいことがあります。それは、たとえネガティブな面から捉えていたとしても、その自分を否定する必要はないということです。少なくとも自分にとっては、今、この瞬間まで世界がそう見えていたということであって、そこにジャッジを差しはさむ必要はありません。
ですから、今までの自分のメガネをアップデートするようなイメージを持って、「あぁ、そんなふうに考えていたのか。それは苦しかったよね。では、今度は~~のように考えてみたらどうだろう?」と自己対話をしてみると良いでしょう。そして、異なる見方や考え方を知って自分のメガネをアップデートしていけば、見えている世界は今よりずっと深く豊かになると考えます。
※本記事は、内田若希著『意味ある敗北とは何か アドラー心理学で読み解くトップアスリートの言葉』(新潮社)の一部を再編集して作成したものです。










