なぜベストセラー本は「祖先はサバンナで猛獣に襲われていた」と語りたがるのか
「人間が~~のような行動を取るのは、もともとサバンナで狩猟採集生活をしていたから」「人間はサバンナで進化したから、~~という特質を持つ」……このような言説に接すると、とても説得力があるような気がします。実際、世間で高く評価されているベストセラー本にも、サバンナで暮らしていた祖先の人々から、人間の本質を説明しようとする語り口がよく見られます。
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文化人類学者の磯野真穂・東京科学大学教授は、新刊『社会が壊れるその前に――メアリ・ダグラスの人類学』で、「狩猟採集民」という言葉が持つイメージについて考察しています。同書から一部を再編集して紹介します。
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人は原初を求めてしまう
人は原初を求めてしまう動物らしい。
私がそう思ったのは、糖質制限食の研究をしているときであった。科学的に考えることが大切、エビデンスが大事だと主張する糖尿病専門医などの論者が、著書の中で、人間は元々糖質をほとんどとらない生活をしていたといった形で、突然、狩猟採集民の話を持ち出して、自らが推奨する糖質制限食の正しさを力説するのである。
しかし人類学を専門にする私から見ると、それら著者の狩猟採集民の話は大変に雑である。「一体いつの、どこの、どんなデータを元にしているのか。エビデンスの大切さをずっと語ってきていたのに」と思わず突っ込んでしまうほどなのだが、そういう詳細は書いていない。にもかかわらず、狩猟採集民について説明するかれらの語り口はなぜか妙に自信に満ちている。
狩猟採集民が登場するのは糖質制限食に限ったことではない。『他者と生きる リスク・病い・死をめぐる人類学』(集英社新書、2022年)に詳述したが、例えば世界的なベストセラーである、『スマホ脳』(新潮新書、2020年)や『FACTFULNESS――10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』(日経BP、2019年)もその典型である。かつてサバンナに住んでいた名残りで、猛獣に襲われたらすぐに逃げ出せるような機能が人間の脳には備わっている、といった流れで狩猟採集民が登場する。
猛獣のエピソードは、医療系の著者が人間の原初に立ち帰る際の常套句らしい。違いといえば、欧米の書籍にはライオンやサーベルタイガー、日本のそれにはマンモスが登場しがちなことだろうか。いずれにしても、かれらの頭には、サバンナでないところで穏やかに楽しく生きる狩猟採集民の姿は思い浮かばないようだ。
ともあれ、「狩猟採集民」というワードには、歴史、政治、文化といった要素に侵されていない、原初的でピュアな「あるべき人間の姿」を想像させる力があるのだろう。民族誌を読めば狩猟採集民も様々であり、ひとくくりにはできないことはすぐにわかるのだが、問題の本質はそこにはない。これらのエピソードが教えるのは、「人類とは、人間とは」といった大きな話をしようとすると、私たちはそれを想起して語るための媒介、すなわち象徴を探してしまうらしいということだ。
例えば、政治学者の中島岳志は『縄文――革命とナショナリズム』(太田出版、2025年)で、日本人のルーツを縄文に求める人々の歴史を調べ、その中には縄文右派と縄文左派と呼びうる人たちがいると述べた。政治的に対立する人々が同じところにルーツを求めるというのは一見奇妙であるが、狩猟採集民に人間のルーツを見出し、そこから今を考えようとする専門家の話と結びつければ納得がいくだろう。
媒介となる象徴を通じて原初に戻り、そこにあるべき姿を見出して、それを今に取り戻そうとする。この模索は、共同体の根底となる価値観や物語――すなわち人類学で言うところの「宇宙観」を取り戻そうとする際に人間が行う行為である。だからこそ、この類の話は、エビデンスに基づくとか、実証されたとかいった言葉に馴染まない。イギリスの人類学者メアリ・ダグラスが指摘したように、人間とは象徴に縛られ、象徴に突き動かされてしまう動物なのである。
※本記事は、磯野真穂『社会が壊れるその前に――メアリ・ダグラスの人類学』(新潮選書)の一部を再編集したものです。










