「会社を愛していたが、社員は愛していなかった」――名門企業を衰退させたカリスマ経営者が愛していたのは何か?

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 目上の人間から「愛国心」や「愛社精神」が大事だと言われると、何となく反発したくなるのが人間の性(さが)というものだろう。一方で、国や会社などの共同体を維持していくためには、何かしらの仲間意識が必要とされるのも、また事実である。では、どうすれば共同体内にそのような一体感を生み出すことができるのだろうか?

 文化人類学の世界では、人々をまとめ上げる仕組みである「トーテミズム」の研究が積み重ねられてきた。かなり大雑把に説明すると、動植物を象(かたど)った紋様を共同体の印、すなわちトーテムとし、その印の下に仲間を作り、独自の婚姻規則を共有したり、生活を助け合ったりする。またそれだけでなく、持ち歩くモノにトーテムの印を刻印したり、あるいはそれが刻印された特別なモノを儀式の時にだけ使ったりすることによって、共同体内の紐帯を確認したり、維持したり、強めたりするといった思考・行動様式のことを指す。

 現代の日本においても、政府が国旗を大切に扱うことを義務付ける法律を作ったり、企業が社章入りのピンバッジを社員に身につけさせたりするのは、その効果の程はさておき、トーテミズムの根幹にある印の力を利用した例と言えるのかもしれない。

 とはいえ、一口に「愛国心」や「愛社精神」と言っても、どうすればその国や会社を本当に愛していることになるのかは、意外に難しい問題だ。いくら当人が国や会社への献身をアピールしていたとしても、傍から見ればむしろ足を引っ張っているようにしか見えない――そんな事例に心当たりがある人も多いはずだ。

 文化人類学者の磯野真穂さんは、新刊『社会が壊れるその前に――メアリ・ダグラスの人類学』(新潮選書)の中で、かつて名門企業に君臨したカリスマ経営者の事例から、この問題について考察している。以下、同書から一部を再編集して紹介する。

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会社はどこにある?

 ご縁があり経営者が多く集まる勉強会に10年近く参加させてもらっている。2025年4月の回では、司会役の方から松尾健治著『組織衰退のメカニズム――歴史活用がもたらす罠』(白桃書房、2022年)が紹介された。同書で取り上げられているのは、戦前に栄華を誇ったもののその後衰退、2007年に清算に至った鐘紡(カネボウ)である(その後カネボウの化粧品部門は花王へ、食品などの部門はクラシエに引き継がれている)。

 勉強会では、同書より、鐘紡社長の武藤絲治(いとじ)および伊藤淳二の振る舞いが参照された。2人は外部の人には物腰柔らかく接していたが、内部の人間には極めて厳しく、自分に異論を唱えた人間を降格させるといったことも厭わなかったため、絶大な権力を社内で振るうようになる。武藤が入室すると電気に弾かれたように社員が全員立ち上がったとか、伊藤が地方視察に行くと、社員が忖度して赤絨毯を敷いたとか、そんな逸話も本書から参照された。

「2人には、会社への愛はあったが社員への愛はなかった」

 そういった話と共に、勉強会はそれぞれが体験談を共有する方向に進んでいった。他方、会社経営からは遠いところにいる私は、話に耳を傾けながらもある疑問が浮かんだため、それをそのまま参加者に投げてみた。

「社員が会社でないのなら、会社は一体どこにあるのでしょう。売上が好きなのであれば、それは売上を愛しているということで、会社を愛しているわけではないですよね。では会社を愛している人は一体何を愛しているのですか?」

 これについても議論は盛り上がったが、その中で複数の企業再生を手がけた経験を持つ参加者が、「それについて答えられる人は意外と少ない」と答えた。一見奇妙に思えるが、この返答は確かに正鵠を得ている。もちろん制度上、「法人」として会社の実体はある。しかし就職の際、自分が働く法人が本当に法人格をとっているかを確認し、初めて会社の存在を実感する人などまずいまい。つまり明文化された制度に則っていることにより、人は会社の存在を認識するわけではない。

会社のロゴは「聖なるチュリンガ」?

 また勉強会では「会社に裏切られた」というフレーズも俎上に上った。これは一体どういうことなのか。裏切ったのは、おそらく同僚とか上司とかの社員であり、会社そのものではあるまい。しかし状況によっては、「会社に裏切られた」という言葉はそう感じる当人にとって強いリアリティを持つし、他者とも共有され得る。

 この議論を数日反芻する中で浮かんだのが、イギリスの哲学者ギルバート・ライルが著書『心の概念』で論じた「カテゴリー錯誤」であった。同書の中で、ライルは次のような譬え話をする。学校について知りたいと考える人が、校舎を一通り見学した後、「ここには生徒も教員もいるが、学校は見当たりません。学校はどこにありますか?」と尋ねるというものだ。ライルはここから、心という概念を、物質としての要素に分解できる身体と同じレベルで捉えること、すなわち「魚」や「野菜」のような同一レベルで比較できるカテゴリとして理解しようとすることに誤りがあると述べ、これを「カテゴリー錯誤」と名づけたのである。

 社員やオフィス、新企画など、会社の構成要素と思われるヒト・モノ・コトを一つ一つ観察しても「会社」は発見できない。だからこそ会社の経営層は、その存在を感じさせるために知恵を絞って「トーテム」としてのロゴを考え、それを製品に付け、ロゴの使用には厳しい規則を設ける。なぜなら人々はロゴの先に会社という観念の存在を感じ取るからだ。その意味で会社のロゴは、ある人々にとっては、トーテミズムの根幹にある印の力と似た役割を果たすと言えるだろう。

 ※本記事は、磯野真穂『社会が壊れるその前に――メアリ・ダグラスの人類学』(新潮選書)の一部を再編集したものです。

磯野真穂(いその・まほ)
人類学者。東京科学大学リベラルアーツ研究教育院教授。長野県安曇野市出身。早稲田大学人間科学部スポーツ科学科を卒業後、トレーナー資格を取るべく、オレゴン州立大学スポーツ科学部に学士編入。しかし自然科学のアプローチに違和感を覚え、文化人類学に専攻変更。同大学大学院にて応用人類学修士号取得。IT企業にて2年間の派遣社員を経た後、早稲田大学大学院文学研究科に入学し、2010年に博士(文学)取得。早稲田大学文化構想学部助教、国際医療福祉大学大学院准教授を経て、2020年より在野の研究者として活動。2024年より現職。専門は文化人類学、医療人類学。 著書に『なぜふつうに食べられないのか:拒食と過食の文化人類学』(春秋社)、『医療者が語る答えなき世界:「いのちの守り人」の人類学』(ちくま新書)、『ダイエット幻想:やせること、愛されること』(ちくまプリマー新書)、『他者と生きる:リスク・病い・死をめぐる人類学』(集英社新書)、『コロナ禍と出会い直す:不要不急の人類学ノート』(柏書房。第33回山本七平賞受賞)、宮野真生子との共著に『急に具合が悪くなる』(晶文社。濱口竜介により映画化、カンヌ国際映画祭最優秀女優賞受賞)がある。

デイリー新潮編集部

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