【袴田事件と世界一の姉】散歩中に交番前でお辞儀……巖さんが男の人に気を許さない理由

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5点の衣類の赤い血痕

 さて、白井さんの講演にも出ていた5点の衣類だが、味噌タンクに放置されて1年も経てば、血痕が黒ずむことくらい警察も分かるはずだ。警察の捏造だとすれば、なぜあらかじめ黒ずんだ血痕を付着させた衣類を用意し、それを味噌タンクに隠さなかったのか。

「支援する清水の会」の山崎俊樹さんが語る。

「5点の衣類は、1967年8月31日に従業員が味噌タンクの中から見つけて警察に連絡した。もしその時点で黒っぽくなっていて血に見えなかったら、発見者はそんな服はゴミだと思い、すぐに捨ててしまうかもしれない。だから、赤っぽい血痕が残る服を放り込むしかなかったのでしょう。実は、この事件の第一発見者とされている従業員などが怪しいと言われています」

「袴田事件」では、1966年6月30日、周囲が静まり返った未明に味噌製造会社「こがね味噌」の専務一家4人が殺された。橋本藤雄専務、妻・ちえ子さん、高校生の二女・扶示子さん、中学生の長男・雅一郎さんが一人ずつ刺殺されていったのに、隣近所の人は誰も悲鳴ひとつ、物音ひとつ聞いていない。隣家とは塀一枚だ。常識的には複数犯でなければ不可能だ。その上、辺りは真っ暗な時間帯であり、橋本専務のかなり大きな邸宅の内部構造や家族の就寝場所などを知り尽くさないと実行不可能でもある。

 橋本専務は面倒見が良く、味噌工場と国鉄(現JR)東海道線を挟んで反対側にある専務宅に、従業員らを招くことが多かった。「袴田事件」の犯人を、警察関係者とどこかで繋がっていた従業員の犯行だとする説も根強い。(続く)

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

2021年11月2日掲載

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