【平成最凶の事件簿4】わが子が「酒鬼薔薇」だと知ったとき――捜査員に告げられた驚愕の真実「息子さんが天井裏に……」

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 平成9年6月、その日の朝日新聞は1面と第1から第3までの社会面、都合4面を使ってその事件を報じている。

 「淳君事件 中3男子を逮捕」「まさか中学生が」「社会に挑戦なぜ」…、神戸・連続児童殺傷事件、いわゆる「少年A」の登場だった。

 これ以前から未成年者による殺人は起きていたが、これ以降、少年犯罪は発生のたびに国民的注目を浴びるようになった。昭和時代にはなかった現象と言える。そして平成12年の少年法改正(厳罰化と適用年齢引き下げ)へと繋がっていった。

 この事件は発生当初から注視された。それは、(1)被害者が幼い男児であること、(2)殺害の形態が猟奇的であること、(3)「犯行声明」や「挑戦状」が新聞社に届き劇場型犯罪となったこと、による。そして取りも直さず、それらがすべて14歳の少年の所業だったという点で、平成史に刻まれる事件となったのだった。

「ニュータウン」「タンク山」といったロケーション、「バモイドオキ神」「酒鬼薔薇聖斗」といった少年の空想による想像物、また犯行声明や挑戦状に加え、少年が書いた「懲役13年」という作文、「性的倒錯」「注意欠陥・多動性障害」等の精神疾患の指摘…など、事件を構成する「素材」が多岐にわたるのも、この事件の特徴だった。そして「場外」では写真週刊誌「FOCUS」が少年の顔写真を掲載し、物議を醸した。

 また事件から18年後の平成27年、32歳となったAが書籍を刊行、加えてHPを開設し、批判された。HPはすぐに閉鎖されたが、元少年に、行刑施設での「更生」の成果はまったく見られなかったのである。

 事件は神戸市須磨区で起きた。土曜日の昼過ぎ、「おじいちゃんとこ行ってくるわ」、11歳の少年・土師(はせ)淳君は、そう言いおいて自宅マンションを出た。

 綿密な取材に加え、捜査資料をもとに事件を検証した、高山文彦氏『「少年A」14歳の肖像』によると、同時刻、少年Aは〈グレーのママチャリ〉に乗って、〈人を殺したいという欲望から、殺すのに適当な人間を探すため〉(以下、引用は同書より)、町内をうろついていた。

 この2カ月前、すでに少年Aは小4女児を金づちで殴り殺害し、小3女児を刃渡り13センチのナイフで刺し、重傷を負わせていた。

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