【袴田事件と世界一の姉】散歩中に交番前でお辞儀……巖さんが男の人に気を許さない理由

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街中のポスターに敬礼

 この日の巖さんの服装は、緑色のチェックシャツにチョッキ、トレードマークのソフト帽だった。

「巖さんはおしゃれなんです。今日はシャツが緑と白なので、帽子も緑色。靴は白です。自分でコーディネートされるんです」とAさん。

 少し前傾姿勢で無言のままスタスタと歩くが、85歳とは思えない速さ。こちらは小走りで先回りして写真を撮る。幸い撮影は嫌がらない。駅や売店、商業施設などを練り歩く。時折、自動販売機で立ち止まり、コインを投入してジュースを買う。有名な浜松市楽器博物館などコロナで一時閉館した施設もあるため、最近はパトロールのコースが変化した。

 面白いのは、巖さんが歩いていてポスターを見つけると、右手を挙げて挨拶することだ。主に女性のポスターに挨拶するようで、猪野さんも「外国人モデルとか美人のポスターにもよく手を挙げて、『やあ』という感じで挨拶してるんですよ」と話していた。

 ところが、巖さんはなぜか生身の女性に挨拶はしない。「『頑張ってください』なんて声をかけられた人には、敬礼したりするんですけどね」とAさん。「一度、歌舞伎役者の女形の写真に敬礼しようとしたけど、はっとしたようにやめました。本物の女性ではないぞ、と見抜いたのでしょうか」と歌舞伎ファンのAさんは話す。

 地上45階建て、超高層の「浜松アクトタワー」に入った巖さんは、Aさんもかかったことがあるという「アクト眼科」の前のベンチに座った。そこには女優の北川景子と米倉涼子の大きなポスターがあった。出所間もない頃、巖さんが吉永小百合の写真を持って出かけるのを筆者も目撃していた。とはいえ、必ずしも女性の写真にだけ挨拶しているわけではなく、時には飲食店の食べ物の写真にも挨拶したりする。

見守り隊は「帰りましょう」と言わない

 驚いたのは、駅前の交番前を通りかかった時だ。一瞬、立ち止まり帽子を取ってお辞儀した(正確に言うとお辞儀したように見えた)。「散々な思いをしたはずの警察にどうして?」と首を傾げた。巖さんには、警察にお辞儀したという意識もなく、たまたま立ち止まったのが交番の前だったのだろうか。すぐに帽子をかぶり直してスタコラと歩き出した。

 かつて猪野さんが巖さんに理由を尋ねたところ、自分が最高権力者、警察でもトップと思っているので、現場の警察官たちに「ご苦労さん」と挨拶しているという意味のことを語っていたとか。そういえば、出所時の会見でも自分が最高権力者だとか、最高裁長官だなどと話していた。

 その後、巖さんは、コンビニで買った鮭のおにぎりをベンチに座っておいしそうに食べ、ジュースを飲んだ。パトロールを始めてから、かれこれ2時間ほど経った。見守り隊員は「もう帰りましょう」とは言わず、巖さんの意思だけを尊重している。「帰りが夜の10時になることもありました。去年の夏なんか、気温が40度にもなった日も歩くんですよ」とAさん。見守り隊も大変だ。しかしAさんは「私は巖さんを尊敬しているんです。本当にすごい精神力と体力です。そんな人と一緒に歩けることが幸せなんです」と語り、時折メモ帳に行動を記録している。「なぜ尊敬しているんですか?」と尋ねると、「『主よ、いつまでですか――無実の死刑囚・袴田巌獄中書簡』(1992年・新教出版社)を読んで感動したんです」と答えた。

『主よ、いつまでですか』は、巖さんが東京拘置所に収監中で、まだ頭脳明晰だった頃、無実を訴えて両親や兄、姉に送り続けた書簡集である。これについては連載中、別の記事で取り上げる。

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