SNSを先取りしていた「週刊新潮」の名物連載「掲示板」…谷崎潤一郎、湯川秀樹、若尾文子の“苦情”や“探し物”も掲載 「人間の頭蓋骨」を探し求めた人物とは?
「人間の頭蓋骨、お譲りします」
その後も“苦情”は多い。尾崎士郎(作家)は、自宅の表札を3回もとられたので〈どうかとらないで欲しい〉。坪田譲治(作家)は、戦時中、鈴木三重吉全集第7巻を、時計やペンと一緒に盗まれたので〈時計やペンはいいから、この本だけ返してほしい〉。片山哲(社会党議員)は、藤沢~新橋間の通勤でぐっすり眠るのが習慣なので〈乗り合わせた方に一言ごあいさつをしておきたい。電車の中ではこのならわし通りによく眠らせてください。言葉をかわさないで失礼することもご容赦ください〉。
田中澄江(シナリオ作家)は、日本電信電話公社(現NTT)へのお願いとして……
〈仕事中だとか、休養したいと思うとき、いつ電話がかかるかと、私は、電話ノイローゼに悩まされております。それで、交換手さんに「これから3時間、私のところにかかった電話をつながないでください。そして用件をメモしておいてください」と、そんなお願いをしたいのですが、いかがでしょうか。是非ご検討ください。〉
このころ、田中澄江さんは、『夜の河』(吉村公三郎監督)や、『流れる』(成瀬巳喜男監督)といった名作シナリオを続々書いて、大忙しの時期だった。もし現在のようなスマホやメール時代だったら、どんなにラクだったことだろう。
もちろんこのほか、本来の「探し物」「募集」も多い。特に初期に多いのが家探しだ。檀一雄(作家)は〈アパートを欲す。一家13人、イヌ、ネコ、トリ、5匹とも移りたし〉、浅丘ルリ子(女優)は〈100万円以下で青山付近の静かな所にお家が欲しいのですが、小さくてもいいけどすてきなお家。家族六人です〉、左幸子(女優)は〈家を求む。都心にも日活撮影所にも便利な地域。予算は200万円前後〉、芦川いづみ(女優)は〈渋谷あたりの交通至便な所に大きなお家が欲しいんです。川崎から調布の撮影所まで通うのがとてもつらい。家族五人とも引越したいのです〉。
当時の女優が、広い家を求めて親孝行している様子がうかがえる。ちなみに、一般的な木造アパート(6畳一間)の平均家賃は2000円前後の時代である。給与水準で比較すると、当時の100万円は、現在では約2000万円に相当する。
さて、この《掲示板》の特徴は、「探し物」について、読者から寄せられた、具体的な返事や情報が載るところにある。「ご返事」が初めて載ったのは、第5回目(1956年3月18日号)。どんな「探し物」だったのかというと、第3回目に載った、これである。
〈式場隆三郎(医学博士) ゴッホの傑作といわれる「向日葵」が、大正7年に日本に来ているが、今度の大戦で戦災のために焼けたという説と、焼け残ったという説とがあって、真偽のほどがわからない。どなたか確実なる情報をお教えくださった方には、謝礼をさし上げたいと思っている。一報を期待する。〉
式場隆三郎博士(1898~1965)は、医師であると同時に、ゴッホ研究家・蒐集家でもあり、評伝や研究書も多く上梓していた。で、その返事は、
〈式場隆三郎様へ――お尋ねのゴッホの傑作「向日葵」についてお答えいたします。実は私の父、山本顧弥太が武者小路(実篤)先生のお世話にて大正7年ごろ入手いたし、ずっと芦屋の自宅にありましたが、残念ながら昭和20年8月6日、当地方最後の空襲にて焼けてしまいました。父は重要文化財を無くしましたことを、相すまなく痛切に責任を感じ、悔やんでおります。詳しくは武者小路先生にお問い合わせくださいますれば、おわかりと存じます。神戸市東灘区(略) M・S〉(本文は実名)
山本顧弥太氏(1886~1963)は大実業家で、武者小路実篤ら白樺派の支援者。なんと、その娘さんからの返事だった。いまでは、この「芦屋のひまわり」の悲運は有名な話で、アニメ映画「名探偵コナン 業火の向日葵」のネタにもなっている。だが、このころは行方について諸説あったのが、この《掲示板》でのやりとりで、確定したようである。
この第5回目には、もうひとつ、すごい「ご返事」が載っている。
〈勅使河原蒼風様へ――ご希望の人間の頭蓋骨、私の手もとにありますから、お譲り申し上げます〉
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