がん告知された患者を悩ませる「家族にどう伝えるべきか問題」…それでも一人で告知を受けたことが「悪いことではなかった」と思える理由【第3回】
患者本人への告知率は94%
私の場合は、一人で告知を受け家族に伝達するということになったが、患者本人ががんであることを知らされるのは、近年まで一般的ではなかったように思える。
前回『白い巨塔』で、治療の見込みのないがん患者に告知をすることはショックが大きいとしてタブー視されてきたことを書いたが、今ではどの程度、告知されているのか。
私の知る限り最新の情報が、2016年に国立がん研究センターが全国778施設を対象に行った調査だ。告知率は94%に達している。
1993年に厚生省(当時)ががん患者を看取った遺族に聞き取りをした調査では18.2%だったので、23年間で告知率は飛躍的に伸びたことになる。
告知率が上がった背景には、患者数の増加や、医学の進歩がある。社会として目を背けていられないほど患者が増え、一方で、様々な治療法が確立し、治癒や延命の可能性が切り拓かれた。そうした状況のもと、2006年に成立した「がん対策基本法」では基本理念に〈本人の意向を十分尊重してがんの治療方法等が選択されるように、がん医療を提供する体制の整備がなされること〉が掲げられた。
とはいえ、一介の患者としては、告知を受ける前にこのような知識があったわけではない。私が一人で告知を受けることになったのは、単なる成り行きだった。
一人で告知を受けることの意義
そこでふと、信頼を寄せる誰かと一緒だったらどうだろうと想像してみる。診断結果を聞くとき、もしがんだったとして、宣告のショックを一緒に受け止めて、吸収してくれる人がいれば、衝撃も軽くなるかもしれない。
だが、心配もある。がんであると告げられたとして、取り乱すかもしれない自分を預けてしまっていいものか。
付き添う側にしてみるとどうだろう。付き添いを頼まれる段階ですでにただならぬ空気が漂うかもしれない。「もしかして、がん?」と思いつつも簡単には口に出せないだろう。不安を感じながらも、顔に出さず、病院に同行するのはそれだけでとても気が重いに違いない。
一人で告知を受けた私はダメージもあったが、高精細な記憶として脳に刻まれた。今になって考えれば、これは悪いことではなかったと思う。
その後に続く「がん世界」のスタート地点に自分で杭をたてたような感触。うまく言葉にできないが、この後に押し寄せる不自由さのなかに、微かに自分の意思を残してきたような気がしている。
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