「有名な暴力団が東京進出して戦争が起きそうなんや……」 昭和の週刊誌記者を翻弄した“タレコミ” 「謎の関西弁の男」の情報を“ホンモノ”と信じてしまった理由とは
俗に情報提供のことを「タレコミ」(垂れ込み)という。あまり品のよい響きではないが、辞書によれば、「密告」の隠語だという。そのものズバリ「密告(たれこみ)」(瀬川昌治監督、1968、東映)と題する映画もあった。懲役を終えて出所したヤクザの組長(安藤昇)が、自分の犯罪を警察に密告(タレコミ)した人物を探して復讐する話だった。このように「タレコミ」は、本来は警察用語だったが、いまではマスコミ業界や一般社会でもふつうに使われている。
ジャーナリズム史上、有名な「タレコミ」といえば、ウォーターゲート事件(1972年)における〈ディープ・スロート〉だろう。映画「大統領の陰謀」でも描かれたが、ワシントン・ポスト紙に内部情報を「タレコミ」した謎の人物である。正確には内部情報というよりは、「あそこへ行ってこれを調べてみろ」と、具体的な取材先を教えたのだが、それでも、この〈ディープ・スロート〉のタレコミが後押しとなって、ニクソン米大統領は辞任に追い込まれるのである(後年、この謎の人物は、当時のFBI副長官だったと明かされた)。
もちろん、昭和の週刊新潮にも「タレコミ」は、ひんぱんにあった。いまのようにネットのない時代だけに、ほとんどは手紙か電話である。だが、それらが世間をゆるがすような大スクープになった話は、あまり聞かない。
今回は、1980年代、ある「タレコミ」に、1カ月間、振り回された週刊新潮OB、Y氏(68歳)の回想である。
「情報提供したいんやけど……」
スマホもケータイもない当時の週刊新潮には、各編集部員の机上に、個人直通のダイヤル〈黒〉電話があった。そのほか、編集部の代表電話が数か所にあり、おおむね、代表電話をとるのは、新人や若手の役目だった。電話番号は、週刊新潮本誌の裏表紙に載っているので、誰でもかけられる。
ある日の夕方、たまたま編集部にいた、当時20代後半のY記者が、一本の代表電話をとった。
「ダミ声の男の声でした。すこし関西弁が混じっていました。男は、低い声で『情報提供したいんやけど……』といいました。タレコミです」
タレコミ男は、こういった。
「関西に、暴力団のX組があるやろ。あそこが、近々、東京に進出して大戦争が起きる。これを、記事にしてほしいんや」
Y記者はおどろいた。あまりの偶然に、手に汗を握ったという。というのも、たまたまY記者は以前、このX組にまつわる一件を取材して記事にしたことがあった。よってX組に関する基礎知識は十分にあった。しかも発売後、X組長が名誉棄損で訴えてきた。Y記者は、法廷に証人として出廷し、原告のX組長と、直接対峙していたのだ。
「X組長は堂々としていて、裁判所の開廷前の廊下で、お付きの者にタバコに火をつけさせ、プ~と煙を吐きながら、若造のわたしにあいさつしてくれました――『おう、キミがYクンか。今日はご苦労じゃなあ。でもワシは、記事にあったような、あんなワルじゃあ、ありゃせんぞ』。両手ともに、小指はありませんでした」
だがY記者は、タレコミ男に対し、自分がX組に詳しい様子は、わざと一切、見せなかった。「X組って、そんなすごい組織なんですか。詳しく聞かせてくださいよ」と、芝居を打った(ちなみにX組長との訴訟は、本人の死去で、のちに取り下げとなる)。
すると男は、「いま、おたくの会社の前の喫茶店におるから、これから会おう。テーブルに週刊新潮を置いとくから、それが目印や」という。ずいぶん用意がいいなと思いながら、Y記者は、すぐ店に向かった。
「50代くらいの小柄な男でしたが、テーブル上を見ておどろきました。すでに、カレーライスやサンドイッチなどを食べ終わって、2杯目らしきコーヒーをゆったり飲んでるんですよ。大食いです。おそらく1時間くらい前から、ずっといたのでしょう。『あれ、ずいぶん食べてますね』といったら『すまんな。もう腹減っちゃって、がまんできなかったもんやから』とのことでした。まあ、喫茶店でこの程度の金額なら、取材経費で落とせるので、こちらが持ちましたが」
こうして、男の「タレコミ」話がはじまった。
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