「単行本化は待ってほしい。これから本当の下り坂が来ますから…」 オイルショックを予見した「堺屋太一さん」が連載小説の刊行に待ったをかけた深い理由

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 週刊誌には、報道記事ばかりでなく、小説やエッセイなど読み物のページもある。週刊新潮は、文芸出版社の強みを生かして、数々の名作小説を連載してきた。

 五味康祐「柳生武芸帳」、柴田錬三郎「眠狂四郎」シリーズ、瀬戸内晴美(のち寂聴)「女徳」、池波正太郎「雲霧仁左衛門」、大薮春彦「野獣死すべし(復讐篇)」、山崎豊子「ぼんち」「華麗なる一族」「二つの祖国」「沈まぬ太陽」、松本清張「けものみち」「わるいやつら」「黒革の手帖」ほか……枚挙に暇がない。

 なかには、取材合戦さながらの修羅場をくぐりぬけて、ようやく掲載された連載小説がある。たとえば松本清張さんなどは、毎週、校了日(印刷に入る直前の状態)の早朝に原稿を受け取り、その日のうちにすべてを終えるという離れワザの連続だったという。

 ところが、校了日になっても、原稿ができあがらない連載があった。堺屋太一さん(1935~2019)の「俯き加減の男の肖像」である。

「大河ドラマの続編を読ませてくれ」

 堺屋太一さんを起用したのは、週刊新潮の担当重役で、“新潮社の陰の天皇”とも称された、斎藤十一氏だった。連載を担当した、週刊新潮OBのA氏(68歳)が回想する。

「1982年のNHK大河ドラマ『峠の群像』は、堺屋太一さんの原作でした。赤穂藩が取り潰しになった忠臣蔵事件を、現代の企業倒産に見立てた、異色の“経済時代劇”です。緒形拳が大石内蔵助を、伊丹十三が吉良上野介を演じました。実質的な主人公は、赤穂藩の架空人物、討ち入りに批判的だった石野七郎次で、松平健が演じていました」

 斎藤氏は毎週、このドラマを観ていたが、最終部分に納得がいかなかった――「あのドラマは、元禄時代が峠の登り坂だったとの設定だが、討ち入り=頂点の峠を越えたあとを描かなくては、意味がないだろう。堺屋さんも、実はそこを描きたかったのではないか。ぜひ続編を読ませてくれ」との“指令”がきた。

 さっそくA氏は、堺屋さんに会いに行った。

「すると、まさしく斎藤さんの慧眼どおりで、堺屋さんは、討ち入りに参加しなかったエリート社員(赤穂浪士)が、どうやって、取り潰し(倒産)後、生き抜いたかを描きたかったそうです。しかし、さすがに忠臣蔵を1年間で描く以上、討ち入りをラストに持ってこないわけにはいかない。そこでああいう構成になってしまい残念だった、ぜひ続編を書かせてほしいというのです」

 こうして1983年7月からはじまった連載が「俯き加減の男の肖像」だった。

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