「本当にいじめをしたんですか?」問われた小山田圭吾は、何と答えたか 障害のあるアーティストたちとのコラボで奏でた音

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自分がやったように書かれてしまった

 ヘラルボニーからの依頼を受けて、小山田は岩手県のるんびにい美術館を訪れた。ここには障害のあるアーティストたちの作品が展示されている。ヘラルボニーが起業するきっかけを与えた美術館でもある。2階はアトリエになっていて、小山田はヘラルボニーと共にここを訪れ、アーティストの声に耳を傾け、ひとつひとつの作品に目を凝らした。

 そして楽曲の制作に取り掛かった。

 ところで、オリパラ時に小山田圭吾が炎上した「障害者いじめ」は本当だったのだろうか?

 当時最もSNSで拡散され、そして人々に嫌悪感を抱かせたのは、音楽雑誌『ロッキング・オン・ジャパン』(1994年1月号)に掲載されたくだりである。
オリパラ辞退時の小山田の言葉には「事実と異なる内容も多く記載されておりますが」とされつつも、具体的な箇所が指摘されておらず、全体を認めて謝罪、という印象で終わった。

 昨年、『小山田圭吾 炎上の「嘘」東京五輪騒動の知られざる真相』中原一歩(文藝春秋)が出版された。小山田本人への長時間にわたるインタビューと、問題の現場に居合わせた複数人からの取材からなる、一次情報を含んだ貴重な一冊となる。

 この書籍によれば、騒ぎの核となった発言は小山田が目撃談として語ったことを、自分がやったように書かれてしまった、ということである。つまり、炎上の元になるこの部分こそが事実とは異なる、ということが証言からも明らかになってきている。

 ではなぜ訂正・抗議をしなかったのだろうか?

 書籍からにじみ出ているのは、小山田自身は本当に自分がやったかどうか、そのこと以上に、

「あの時、なんで、やってもいないいじめをおもしろおかしく、ネタのように語ってしまったのか」

 という悔恨と、語ってしまった自分自身に対する責任感である。

 最も嫌悪感を抱かせるくだりの部分は事実ではないにしても、遊びの範疇を超えたいくつかのいじめに相当する内容は、小山田自身も自分がしたことだと認めている。そして語られた本人や家族の気持ちを思うと小山田を擁護するつもりはないが、フェアな目線で改めて情報に触れようとするならば、小山田の同級生のこの証言にも目を通さねばならない。

 次に登場する沢田君(仮名)は、雑誌『クイック・ジャパン』の中に登場する知的な障害のある同級生である。
 
「小山田君は沢田君(仮名)と仲がよかったというか、彼の面倒を見ていた感じでした。別に四六時中、一緒にいるとかそういうことではなかったし、学校の外で遊ぶとかはない。特に小山田君の高校時代は音楽一色で、いつも尖った服を着て、近寄りがたいオーラを出していました。でも多くの人が沢田君に対して素通りするなか、小山田君は違っていた」(『小山田圭吾 炎上の「嘘」』より)

 小山田圭吾とは、いったいどういう人物なのだろうか。実際、障害のある人たちと、どのように接するのだろうか。

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