「ダウン症」の息子との暮らしの中で気付いたこと 「話が通じない」にある“盲点”

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「これまでの私の人生を振り返ってみると、大きな三つの辛い出来事がありました」――そう語るのは、岸田ひろ実さん。

 その三つの出来事とは、授かった長男・良太さんがダウン症だったこと、39歳だった夫の急逝、さらに自分が大動脈解離の手術の後遺症で突然歩けなくなったこと。でも、それらは決して悪いことばかりではなく、自分にとっての転機だったと振り返る。

 立ち直れないほどの困難に直面した当時、どう考え、どうやって乗り越え、現在はどう受け止めているのか。岸田ひろ実さんによるエッセイ集『人生、山あり谷あり家族あり』から3回に分けて紹介する。(全3回の3回目/1回目から読む)

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郵便屋さんと良太

 良太は現在26歳。生まれつき発語が難しく、初めて会った方には何を話しているのかわかりづらい状態です。そんな良太には、一人でできることがあります。バスに乗って作業所に通うこと。近くのコンビニまでおつかいに行くこと。そして、玄関先で郵便物を受け取ること。先日も郵便屋さんが荷物を届けにきてくれました。良太に、印鑑を押して荷物を受け取るようにとお願いをしました。こっそりと様子をうかがっていると、なんともほほ笑ましい会話が聞こえてきました。

郵便屋さん:「こんにちは、荷物です」

良太   :「ありがとうございます。きょうはサムイですね」

郵便屋さん:「寒いですね! いつも元気ですが、風邪ひいてませんか?」

良太   :「はい、ダイジョブです。ダイジョブですか?」

郵便屋さん:「それはよかったです。私も元気です。ありがとうございます」

良太   :「ありがとうござーました」

 良太の言葉は不明瞭でうまく伝わりませんが、いつの間にか郵便屋さんと良太の間ではちゃんと会話が成立していたのです。しかし、最初からこんな会話ができていたわけではありません。何度も良太と接していただくうちに、障害のイメージが自然と変わり、良太のことを知ろうとするきっかけにつながったのではないでしょうか。まずは「知ってもらうこと」。それは無関心でいられるより、はるかに素晴らしいことだと思いました。

「ママ、はい、荷物やで」

 郵便屋さんから受け取った荷物を私に渡す息子の姿が、以前にも増してとても頼もしく見えた出来事でした。

「トゥーリ、つくって」から始まる連想ゲーム

 また、ある日のこと。

「ママ、トゥーリ、つくって」

 何かを作ってと頼まれているんだけれど、「トゥーリ」が何なのか、全くわかりません。

「トゥーリってなに?」

 聞いてみると、

「もー! トゥーリやん、トゥー、リ」

 当たり前のように答えます。

 言葉をうまく話せない良太との会話では、こういうことは日常茶飯事。すぐには理解できないことがしょっちゅうです。そういう時には、今何を言おうとしているのか、私の頭の中に保存している良太にまつわるエトセトラを思い出します。最近、良太と話したことや、作業所との連絡帳に書いてあった出来事、夢中になっているゲームや、見ている映画などを思い出して、そこにヒントを探します。

 とりあえず「つくって」なので、これはご飯系かなと思い、トゥーリに似たような音の食べ物を探しました。きゅうり? 鶏? カレー? ちょっと発展させて、良太の好きそうな食べ物の、唐揚げ? チャーハン? 焼肉?

「ちーがーうー、トゥーリ」

 全てハズレ。全く正解がわかりません。伝わらなくて悔しそうな良太に申し訳なくなっていると、ヒントをくれました。出かける時にお茶を入れる水筒を持ってきたのです。

 わかった!! お茶のことね!!

「お茶を作ってほしいんやね!」

 と言うと、「うん!」。やっと通じて嬉しそうな良太。良太は緑茶が大好きなんです。答えは緑茶だ! 早速、よく作って持たせるおいしい水出し緑茶を作って渡しました。これで喜んでくれるはず。なのにまたもや良太は、

「ちがう! トゥーリやん、トゥーリ!」

 とご機嫌ななめ。

「えー! なんで? 緑茶作ったのに。おいしいよ」

 と、優しく説明も加えて渡しましたが、納得していません。少し怒りはじめてしまいました。

 私は何を間違えているんだろう? 再び私の頭はフル回転。緑茶じゃなければどんな飲み物? 緑茶以外に良太が好きなお茶は……麦茶? ほうじ茶? そうだ!! もしかしたらルイボスティー? そういえば、私が好きでいつも飲んでいるルイボスティーを、最近、たまたま良太が飲む機会がありました。何この味?って不思議な顔をしていたので、まさか好きだとは思わず、「トゥーリ」が「ルイボスティー」だとは思いもしませんでした。

「もしかして、ルイボスティー?」

 と聞くと、めちゃくちゃ嬉しそうに、

「うん、トゥーリ」

 と満面の笑みで返事が返ってきました。やっと通じたという良太の嬉しそうなその表情を見た時、私も嬉しくて同じような表情になっていました。

思いの込もった言葉をちゃんと理解できている?

 自分の思いが伝わらないって、とても歯痒く、悔しいことです。良太は他の人よりもそれを多く感じているのです。だからこそ、良太の口から出る言葉が何を意味するのか、何を伝えたいのかを、過去や今の出来事や、取り巻く環境を思い出しながら、あれやこれやと想像して考えることにしています。話が通じ合わないときは、なぜそうなるのか、その理由を一生懸命に考えます。時間はかかってしまうかもしれませんが、聞こえる言葉だけを信じてしまうのではなく、決めつけて都合のいい解釈をしてしまうのではなく、その先を考えてみることが大事なんだと、改めて気付かされました。

 良太が飲みたかったお茶は緑茶だと、なんとなくの思い込みで決めつけて、わかったように押し付けてしまうのではなく。もしかしたら他の何かなのかもしれないと、想像することが大切なのでした。「トゥーリ」の意味を知ることを諦めて、緑茶でいいよね!と言い切って押し付けてしまったとしても、良太はきっと、仕方ないなと飲んでくれるのはわかっています。でも諦めずに、良太に「トゥーリ」がなんなのかを聞きながら一緒に考えることで生まれる信頼が、何かあった時にはママに話してみようという気持ちにつながればいいな。

 いつもうまくいくとは限らないけれど、その言葉に込められた意味を、理由を、もう一つの視点で想像さえしていれば、うまくいかないことは減らせます。これは言葉を話すことが苦手な良太にだけではなく、他の誰かと話す時にも気にしておきたいことだと思っています。思いを込めたはずの言葉は自分が思っているよりも、相手に伝わっていないことがあるかもしれません。思っているよりも、相手の言葉の意味を理解できていないことがあるかもしれません。そう考えておくくらいがちょうどいいように思います。

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『人生、山あり谷あり家族あり』より一部抜粋・再構成。

岸田ひろ実(きしだひろみ)
1968年大阪市生まれ。ダウン症で知的障害のある長男の誕生、39歳だった夫の急逝、さらに自身が大動脈解離で受けた手術の後遺症によって車椅子生活になる。リハビリ中から心理学を学び始める。2011年、娘・奈美が創業メンバーである株式会社ミライロに入社し、同社主催講演などの講師を務めていた2021年、感染性心内膜炎で再度の心臓手術を受ける。2022年5月現在は退社し、講演やコンサルティングなどフリーランスで活動中

デイリー新潮編集部