「もし“自閉症が治る薬”があったら、飲ませる?」 僕らはお兄ちゃんには飲ませない

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 設立4年で「日本オープンイノベーション大賞」「日本スタートアップ大賞」と、2度の受賞をするなど発展を遂げた「ヘラルボニー」。

 大躍進を続ける同社の双子経営者、松田文登(ふみと)さんと崇弥(たかや)さん(現在31歳)にとって、出発点は生まれ育った環境にあった。「ふつうじゃない」って「かわいそう」なの? 僕らのお兄ちゃんは、なんで馬鹿にされなきゃならないの? ――四つ上の兄、翔太さんには重度の知的障害を伴う自閉症があった。

 やがて起業を決めた文登さんと崇弥さんが社名として選んだのは、兄が子供の頃、ノートに書きつづっていた謎の言葉だった。障害のある人もない人も、分け隔てなくあるがままにフラットに暮らせる未来を目指す双子経営者の思いを、初の著書『異彩を、放て。―「ヘラルボニー」が福祉×アートで世界を変える―』から紹介する。

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「お母さん帰ってくるっ?」

 壁をへだてた向こうで、小学6年生の兄が大声をあげている。やがてドアがこじ開けられようとするのを、玄関に近い隣の部屋にいる小学2年生の僕ら双子は必死の形相で阻止している。

 母は夕方6時に帰ってくると言ったのに、まだ帰ってこない。

 1分でも遅れれば、兄は大パニックになる。その不安の矛先は、行動となって僕ら弟たちへ向けられる。6年生と2年生では、圧倒的な体格差だ。兄とまともに組み合っては、僕ら二人がかりでも太刀打ちできない。だから、母が帰ってくるまでの間、ずうっとドアを押さえて、兄の侵入を防いでいるのだ。

 そろそろかな、もう帰ってくるんじゃないかな……とかすかに希望をつないでいると、

「文登! 崇弥! 本当にごめんね……!」

 帰宅するやいなや、兄をなだめて、母は泣きじゃくる僕らを抱きしめてくれた。

 僕らの兄が、“ふつう”とは少し違うことに気づいたのは、いつだっただろう。

 一緒に遊ぶのが日常だったし、うちに遊びに来た僕らの友だちにまじって、ずっとスーパーマリオをやっていることもあった。僕らが所属するソフトボールチームの練習や試合にも、兄は母と毎週応援しに来てくれた。

 三人で延々と鬼ごっこをすることもあった。兄は決まって追いかけられるほうで、「文登、待てーっ!」「崇弥、待てーっ!」と言いながら、自分を追いかけろ、と要求するのだ。僕らは鬼になるばかりだった。

「しゃべらないの?」

「笑わないの?」

「話を聞いてないの?」

 その頃からずっと、兄に対して、周りから他愛もない質問をたびたび受けてきた。僕らからすると、しゃべるし、笑うし、話を聞いてくれてもいる。でも確かに他の人と同じように、スムーズに意思疎通が図れるわけではない。

 やはり、“ふつう”とは少し違う。そのささいな違和感のフィルターを通すと、どうやら兄は“ロボット”のように見えてしまうらしい。

 僕らは、世間との大きな認識のズレを感じずにはいられなかった。

 手元に残っている作文──「障害者だって同じ人間なんだ」。

 この作文を書いたのは、「第一小学校 四年 松田文登」。ここには当時、僕らが小学生ながら、兄に向けられる視線に悩み、怒り、試行錯誤している様子がうかがえる。

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作文「障害者だって同じ人間なんだ」第一小学校 四年 松田文登

 ぼくのお兄ちゃんは、前沢養ご学校に通っています。障害といっても手や足が悪いのでなく自閉しょうという障害です。

 お兄ちゃんは、かんたんな言葉しかわかりません。お兄ちゃんに学校のことを聞いてもそんなに言葉がかえってきません。とにかく自分の好きなことしか言いません。でも、お兄ちゃんともっと話をしたいから、たくさん話かけるようにしています。

 お兄ちゃんには、こだわりがあります。車に乗る時は、かならず助手せきにすわります。食事の時は、せきが決まっているし、食べる物や順番まで決まっています。写真が好きでお兄ちゃんがいる時は、ぜったいに見せてくれません。もしせきをとったりしたら皮がむけるほどつねられるので、ぼくもつねりかえしてケンカになります。

 そんなお兄ちゃんだけど、すごいなあと思うことがあります。

 一つ目は、手伝いです。ふろそうじは、お兄ちゃんが一人でやっています。ぼくは、めんどうなのによくがんばるなと思います。茶わんあらいは、お母さんといっしょにやっています。せんたく物ほしは、兄弟三人でやっています。

 二つ目は、毎日日記を書いています。ぼくから見ると、四行ぐらいしか書いていないけれどお兄ちゃんなりにがんばっています。お母さんが、お兄ちゃんの日記を読むたびに、

「はい、よくできたね。」

 と、ニコニコしながら言うと、お兄ちゃんは、

「終わった。」

 と言って、手をたたいてよろこびます。

 三つ目は、二、三キロの道のりを一人で駅まで歩き電車で前沢養ご学校に通っています。去年の学習発表会で、お兄ちゃんのクラスのげきをみた時のことです。お兄ちゃんと二人がピアニカのえんそうをしていて、それがとってもうまくて、家では、ぜんぜん練習をしていないのに学校だけでできるなんてすごいなあと思いました。

 ぼくがいつもいやだなと思うことがあります。それは、デパートやレストランに行った時に、お兄ちゃんのことをじろじろ見る人がいます。小さい子がお兄ちゃんのことを

「変な人だ。」

 と言います。ぼくは、その子に

「障害なんだからしょうがないでしょ。」

 と言います。でもわかってもらえません。

 お兄ちゃんが入ってる障害者の集まるゆうゆうの会で、プールに行った時にも、ぼくと同じくらいの男の子がお兄ちゃん達のことを指をさして笑っていたので、自分のことのようにはらが立ちました。

 こういう時にいつも思うことがあります。

「障害者だって同じ人間なのに。」

 ということです。ぼく達と同じようにふつうに見てもらいたいです。

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 兄は今でも、日曜日の12時にラーメンを食べ、15時に『忍者戦隊カクレンジャー』のDVDを借りに行き、18時に『ちびまる子ちゃん』を観る。

 車に乗ったときはしばらく助手席に居座って、写真を撮られるときは必ずにっと笑ってピースサインをする。もう20年以上続けているルーティンだ。

 前沢養護学校(現・前沢明峰支援学校)に通うようになってからは、「翔太さん」と呼ばないと怒りだすようになった。先生やクラスメイトからそう呼ばれるようになって、響きが気に入ったのだろう。そのときから兄のことを「お兄ちゃん」ではなく、「翔太さん」と呼んでいる。

 あるとき、父がこんなことを言い出した。

「もし“自閉症が治る薬”があったら、翔太に飲ませる?」

 僕らの答えは「飲ませたくない」だった。母も「飲ませない。今の翔太が、そのままでいてくれるのが良いから」と、真っ先に答えた。父は「治るなら、飲ませてあげたいな」と言った。

 お父さんは兄のことをそんなふうに思っていたのか、となんだかショックだったことを覚えている。

 兄がもし、“ふつうのお兄ちゃん”だったら。

 これまで一切そんなことを考えたことがない……とは言い切れない。父も母も、もっと楽に暮らせたかもしれないし、僕らも、もっと悩まずに暮らせたかもしれない。

 でも僕らは自閉症の兄がいたことで、さまざまなことを経験し、これまで生きてきた。兄という眼鏡を通して見る社会は、美しく、優しく、そしてときに残酷だった。社会にはこんなにも、無数の感情が存在していることを知った。

 親戚の集まりで、酔っぱらったおじさんからこんなことを言われたことがある。

「お前たちは、兄貴のぶんまで一生懸命頑張らないとなぁ」

 夏休み、青少年の家での林間学校に参加したとき、親たちと離れて僕ら子どもだけになると、大学生のボランティアから兄を邪険に扱われた。小学校低学年だったからどんな言葉だったかは覚えていないけれど、大好きな兄を馬鹿にされて、悔しかった。

 近所の人からは「お兄さんはかわいそうだね」と言われた。

 どうして? どうして? 兄のことを憐れんだり馬鹿にされたりしなきゃいけないんだろう。

 でもそのおかげで、僕らは人の“ふつうじゃないところ”をそのまま受けとれる人に育った。

 僕ら双子の人格は、間違いなく自閉症の兄の存在によって形成されたものだ。

 小学校低学年の頃、母は僕ら三兄弟を連れて、毎週末のように岩手県自閉症協会やNPO法人「のびっこ寮育センター」など地域の団体が主催するイベントやワークショップに参加した。今思えば、単身赴任で父の不在が多かった我が家で、“ワンオペ”子育てを余儀なくされている母が、少しでも自分の負担を軽くするための策だったのだと思う。

 僕らは双子ということもあってか、大人たちにずいぶんとかわいがられた。「大人になったら、あなたが特別支援学校の先生になってね」と何人もの人に言われた。

 そこには兄以外にも、さまざまな症例の人たちがいた。脳性麻痺、医療的ケア児、ダウン症、知的障害にも軽度重度があることを知った。肌身離さずぬいぐるみを抱きしめた、30歳くらいのお兄さんもいた。そこでは“ふつうじゃない”ことが“ふつう”だった。

 その場の“ふつう”を、僕らはそのまま受けとめていた。それもあってか、小学生のあいだ、大きな問題は起こらなかった。たまに友だちから兄の口調を真似されておちょくられることはあっても、そこまで深く思い詰めることはなかった。ソフトボールの試合に応援しに来てくれたり、みんなで楽しく遊んだりした記憶のほうが、強く残っているからかもしれない。

『異彩を、放て。―「ヘラルボニー」が福祉×アートで世界を変える―』より一部を引用、抜粋。

デイリー新潮編集部