村上春樹さんの新作の舞台はいつ? 小説における「時代の変化」を描く、描かない問題(古市憲寿)

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 村上春樹さんの新作『街とその不確かな壁』を読んだ。個人的に興味があったのは、インターネットが出てくるのか、ということ。結論から言うと出てきた。だが恐らく令和を舞台にしたわけではなさそうである。

 次のような描写がある。「インターネットからプリントアウトしてきた町の地図をポケットから出して広げて見ると、その川は緩やかにカーブしながら町の外周近くを流れていた」。

 この時点で主人公は40代半ば。スマートフォンの地図アプリを使わないところを見ると、2000年代初期という設定なのかなと思った。部屋で電話をする主人公が「受話器を取」るという描写もあり、家に固定電話を置いているらしい。

 同時に「SNS」という言葉も登場する。日本でGREEやmixiがサービスを始めたのは2004年。新聞でも2005年くらいから「ソーシャル・ネットワーク・サービス」という用語が新語として登場し始めた。

 日本でスマートフォンが普及するのは2010年代。作中では「携帯電話」という単語しか登場しないので、舞台が2000年代と考えればつじつまが合う。

 ちなみに2013年に単行本が出た『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』も「ツイッター」の存在する世界だったが、30代の主人公が「受話器」を持つ描写がある。村上小説の登場人物は固定電話が好きらしい。

 そういった話を友人の編集者にしたら、「私は今でも家電(いえでん)があるし、地図をプリントアウトしている」という返事と共に、汚れた固定電話の写真が送られてきた。

 驚いて総務省の調査を確認してみたら、今でも固定電話の保有率は6割を超えていた。減少傾向にはあるものの、世代ごとに傾向が全く違う。20代は1割未満だが、60代以上は8割を超えるといった具合だ。

 紙信仰も現役である。スケジュールを手帳に書き留める人は多い。人ごとながら、もしも手帳をなくしたらどうするのか不安になる。いわゆるクラウドのいいところは、紛失という概念がないこと。スケジュールはもちろん、写真も書類も、ネットに保管しておけば、ちょっとやそっとでは消えない。

 そうした意味で『街とその不確かな壁』は、一定の世代以上には、現代を舞台にした小説として読むことができるようだ。

 W村上と呼ばれていた村上龍さんも『ユーチューバー』という新刊を出している。こちらの舞台は完全に現代。ただし読者の年齢層に配慮した親切設計で、「FB、つまりフェイスブック」、「ヤフコメ」は「ヤフーのコメント」の略など、逐一説明が入る。龍さんをモデルにしただろう小説家が「ユーチューバー」になる(なり損ねる?)物語だ。

 春樹さんは74歳で、龍さんは71歳。二人がデビューした1970年代後半には存在しなかった一般向けインターネットとスマートフォンの普及は人々の生活を大きく変えた。時代の変化をあえて描かないのか、何とか時代に追いつこうとするのか。次の作品ではどうなるのか今から楽しみである。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2023年5月18日号掲載