〈鬼畜にも劣る悪人…〉県警「捜査報告書」の呆れた中身【袴田事件と世界一の姉】

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「読ませる」捜査報告書

 一方、県警の「捜査報告書」は勾留延長期間(10日間)を含めた取り調べの動きを以下のように記録している。

《袴田は頑強に犯行を否認するのみならず、「警察の奴等が俺を犯人とでっち上げている。俺は以前、プロボクサーをやったからお前らの一人や二人を倒すのはわけがない」と机を叩いて取調官を脅迫する一幕もあって、初日の取り調べについては終始反抗的態度。

 8月21日、午後9時ごろに至り、涙を流しながら、「このまま死なせてくれ」とうなだれ(中略)約30分でふたたび平常にもどってしまった。

 8月22日、弁護人が初めて袴田との面接に来た。約5分間面接させたが(中略)「俺にも友達ができた」といって意気揚々としていた》

 これだけの大事件で逮捕された人物の弁護人(岡村鶴夫弁護士=故人)がたった5分の接見に納得して帰ってしまったことも信じられない。冤罪だとは露とも考えなかったからなのか……。「弁護士失格」と言いたいところだが、この当時は検察官の許可(通称、接見切符)がないと弁護人は面会できない。

 前述の山崎氏も「岡村弁護士は、ひで子さんが知人を通じて依頼した斎藤準之助弁護士の事務所での先輩弁護士。国選弁護人は起訴されないと付けられない。岡村先生は、この日は弁護人選任届を巖さんからもらうだけだったと思います。当時、接見は被疑者の正当な権利だと認められていなかった」と話す。

 再び報告書。

《その翌日から黙秘権を行使しはじめ、(中略)いっこうに進展しなかった。取り調べに当たっては袴田の心情、特に妻に逃げられ長男A(本文は実名)を養育していく家庭環境に同情し、ともに泣き、ともに笑うという雰囲気で取り調べを進めていったが(中略)あと一歩というところで自供しなかった。8月29日、(中略)本部長、刑事部長、清水署長(以下出席者略)による検討会を開催し、条理だけでは自供に追い込むことは困難であるから取調官は確たる信念をもって、犯人は袴田以外にはない、犯人は袴田に絶対間違いないということを強く袴田に印象づけることに勤める》

 巖さん本人に自分が犯人だと「印象づける」というのはいかにも奇異だ。理由について報告書は《事件後50日間泳がせてあったため、警察のてのうちや、新聞記者との会見などから犯人は自分ではないという自己暗示にかかっていることが考えられたので、この自己暗示を取り除くため》とする。不自然な部分をメディアのせいにしているが、仮に巖さんが橋本一家4人を殺していたとして、短時間の記者の取材によって「俺はやっていない」などと洗脳されるはずもなかろう。

 報告書はこうも書く。

《勾留期間がだんだん切迫してくるし、取調官にはあせりの色が見え始めたが、それを相手にさとられないように泰然自若とした態度で臨むように心掛けた》

 刑訴法上の「20日間勾留」の規定など、大学の法学部出身者や新聞記者等なら知っていても、中卒だった巖さんに知識はなかっただろう。

 ついには亡霊まで出てくる。

《逮捕されるまでの間、(中略)就寝していると、被害者の亡霊が出てきて、袴田の顔をじっとみつめ、(中略)はっとして目をさまし、あせびっしょりになった。亡霊は毎晩のように出て、今晩藤雄が出たかと思うと、明晩妻のちゑ子がでるというように交代で出て(中略)悩まされた。逮捕されてからはそのようなこともなく安眠できたと述懐しており、袴田のごとき鬼畜にも劣る悪人であっても彼にもやはり良心があり、人間であったのである》

 読ませる描写ではある。しかし、取調官だけと対峙した密室で巖さんが本当に記述のようなことを言ったのか。証拠はない。

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