〈鬼畜にも劣る悪人…〉県警「捜査報告書」の呆れた中身【袴田事件と世界一の姉】

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「自供」は9月6日

 9月6日に自供した、との情報を得た新聞は色めき立つ。

 7日水曜日の静岡新聞夕刊。少し長い引用だが、当時、報道が把握していた「犯行状況」がわかる。

《袴田の自供核心へ 清水の一家四人強殺放火 藤雄さん、ちゑ子さん、長男、二女と殺害 手で油かけ 放火 「すまない」と泣きじゃくる

【清水】清水市横砂の会社重役橋本藤雄さん一家四人強盗殺人放火事件の容疑者袴田巌(三〇)は、特捜本部のきびしい追及に六日昼前、ついに犯行を認めたが、同日夜遅くまでの取り調べで終始泣きながら「自分がやった。申しわけない」と自供した。特捜本部は袴田に「悪かった」とざんげする素振りがみえているところから、七日凶器の点と犯行の動機などを中心に詳しく事情を聞いた。

 六日夜からの取り調べに対し、袴田はかなり素直に応じている。「自供したばかりで頭の中が混乱しているのでもう少し考えさせてくれ」といいながらも、同夜のうちに犯行のほとんど全部を自供、七日朝からの調べでも神妙な態度を続けている。調べがちえ子さんら家族さんの殺害にふれると、両こめかみあたりを押さえてかなり苦しそうな表情になるという。

 自供内容については今後まだぐらつく見込みだが、これまでの調べにおける供述はざっと次のとおり――

 動機についてはまだはっきりしていないが、犯行は二十九日のよる計画した。その夜は興奮して眠れず、三十日午前一時二十分ごろ床を出た。クリ小刀を持ち、パジャマ姿で階下まできたが、パジャマがひらひらしてじゃまになるので一階の部屋にかかっていた雨ガッパを着て外に出た。専務宅の裏側から屋根にのぼり中庭におりる(裏木戸からはいったともいっている)と勉強部屋近くのガラス戸が一枚開いていたのでそこから中にはいった。そこには冷蔵庫が置いてあり、勝手場と事務所を仕切るガラス戸はしめてあった。この戸を静かにあけ旧事務室あたりまできたとき、シャツ姿の専務に見つかり、電灯をつけられたのですぐ裏木戸の方に逃げた。ところが木戸がしまっていたので立ち往生してしまった。小刀を抜いて右手に持っていたが、右手首を専務に強くつかまれ、右足を激しくけられたので、夢中で専務をなぐり倒して刺した。

 このさわぎを聞きつけたちえ子さんが部屋の方で大きな悲鳴をあげたので、すぐひきかえしていきなり刺すと、そのうしろから、雅一朗君が、手向かってきた。二人を交互に刺して倒したが、その後扶示子さんが騒ぎに気づいたので他の三人と同様にメチャメチャに刺した。みんなぐったりしたので「困ったことをした」と思いしばらくながめていたが、まもなく焼いてしまおうと決意、用意してあった(どこにあったかは不明)油を手で散水するように死体にかけ勝手場にあったトラマッチで殺した順序に放火してすぐ裏口(木戸か屋根かは不明)から逃げた。

 いったん自分の部屋に引きかえして寝たが、すぐ隣の部屋で佐藤省吾さんが火事だとさけんで出て行ったので、そのあとについて階段をおりた。しかし、そのまま火事場に行くと不審に思われないかと不安になり、すぐフロ場にはいった。そこで手を洗い、しばらく倉庫のわきにかくれていて、ヤジ馬が大勢集まったころを見はからってとび出して行った。裏木戸近くにハシゴがかかっていたので屋根にのぼり物干し台から土蔵の窓をバール様のものでこわそうとしたが、この時右手が痛いことに気づき、ケガをしていることを知った。すぐ降りて手当てをしたように覚えている――。

 自供したあとの袴田は逮捕後二十日間の心境について、実際にはほとんど眠れなかったと白状した。留置場内での袴田は持ち前の図太い神経でよく眠り、よくたべていたのではないかといわれていたが本人は、犯行当時のことを思い出すと、専務のにらんだ顔や他の三人の声が渦巻き、頭がガンガン鳴って眠れず明け方だけうつらうつらした程度だったと言っている。

 袴田は取り調べに対し終始泣きじゃくっており、専務を殺したと自供したときには申しわけないことをしたと大声をあげて泣きながら話した。ポツリ、ポツリ、一言ずつ小さな声で話すので、この日の自供は思わぬ長い時間がかかった(中略)

 留置場で立ったり座ったり

 六日の取り調べを終え、七日午前零時取り調べ室から出た袴田は報道陣のカメラの放列をさけるためか、頭からすっぽり白いシャツをかぶり刑事に付き添われながら足早に階段をかけおりた》

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