【袴田事件と世界一の姉】キャバレー時代の知人が述懐「警察は事件直後に巖さんを犯人と決めつけていた」

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 袴田巖さんは、3月10日に86歳になる。彼の若い頃をよく知り、記憶も鮮明な存命者は多くはない。筆者は「袴田事件」を本格的に取材し始めてから年数も浅い上、事件は56年も前。当時の証言者にほとんど会えないのは仕方がないと考えていた。そうした中、静岡市清水区に住む、巖さんとの記憶もしっかりした上品な女性に会うことができた。事件直後には、警察が彼女の下にも聞き込み捜査に訪れているという。それらを鍵に巖さんの人物像を探る、連載の第11回。(粟野仁雄/ジャーナリスト)

検察が反論の意見書提出

「考察が足りず、不適当」

 2月24日、検察は「1年間、味噌に漬かれば、衣類の血痕はメイラード反応で黒褐色になるはず」とした弁護側の鑑定に反論する意見書を、東京高裁第2刑事部に出した。巖さんの弁護団は「警察の発見直前に袴田さん以外の人物が5点の衣類を味噌タンクに入れた捏造」と強調している。現在進められている再審を開始するかどうかの三者協議(裁判所、検察、弁護団)で、同部の大善文男裁判長は弁護団だけに宿題を出していたわけではない。検察に対し「2月末日までに反論を」と指示していた。東京高検としては珍しく少し早めに提出したのだ。

 ニュースで知った2月26日、巖さんの姉・ひで子さんに電話すると「まだNHKニュースで見ただけで文面も見ていませんけど、役所なんてそんなもんでしょ。負けていたって『はい、降参です』なんて絶対言うまいよ。ハッハハ」と意に介さない様子だった。

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