『それでもボクはやっていない』周防正行監督が語った“日本で冤罪が起こる理由” 【袴田事件と世界一の姉】

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「裁判員裁判なら袴田さんは無罪だった」

 袴田事件では、警察の供述調書は一審(静岡地裁)で「任意性がない」(自由意志での供述ではない)として44通すべてが証拠排除された。ところが、吉村英三検察官の1通だけが証拠採用され、死刑判決となったのだ。吉村検事が巧みな「創作供述文」を作っていたからである。自供したとされた時点で、巖さんはほとんど何も話していない。それが立派に話したかのようになっている。実はこれも、証拠開示で半世紀前の取り調べの録音が明らかになり判明した。裁判員制度が導入されて、公判前整理手続きで開示される証拠が多くなったのだ。

 筆者は周防氏に「もし袴田事件の一審が裁判員裁判だったらどうなったと思いますか?」とも尋ねた。周防氏は「無罪になったでしょうね。あれだけ調書がありながら1通しか採用されないなんて、普通の人なら『なんで1通だけ認めるの?』ってなるでしょ。でも裁判官は弁護士よりも検察官を信頼してきた。しかし今、これだけ違法捜査が続いてくれば、普通の感覚の裁判官なら、(検察主張を)丸呑みできないと思うはず。おかしな忖度や保身で裁く裁判官なら要らないですよ」と明快だった。

 周防氏は講演の最初で「日本の刑事裁判で裁判官は、法廷での被告人の言葉よりも検察の調書を重視してきた」と調書裁判の弊害もしっかり話していた。

隣の房の人の処刑からおかしくなった巖さん

 大盛況の講演会では、明るい橙色の服がよく似合うひで子さんが壇上に登場し、弟の巖さんの近況などを話し、最近、金閣寺に連れて行った旅行の話などを紹介した。

「以前に連れて行った時は『何だ小さいな』って言ってたけど今度は言わなかったですね」。そして「巖は私のことを『お姉さん』なんて言わないんです。『ひでこ』って言うんですよ。でもこないだ『はい、おみやげ』って初めて私に土産を買ってきてくれたんです。自動販売機のジュースだったんですけど」と笑わせた。

 司会役の猪野待子さん(袴田支援クラブ代表・見守り隊隊長)が「巖さんはいつ頃から精神状態がおかしくなったんですか?」と率直に尋ねた。

 ひで子さんは「(刑が確定するまでは)毎月、拘置所に通っていました。兄2人と一緒に3人までは(面会室に)入れました。巖は裁判のことを一生懸命話すんですね。相槌を打っているうち30分経ってしまう。外に出て兄と『元気でよかったね』と言って、自分たちが励まされていました」と語った。

 しかし、「(死刑が)確定して死刑囚ばかりの所に行ってからおとなしくなったんです」と話を続ける。

「懲罰房に入れられたこともあったそうです。ある時、私が1人で面会に行ったら、巖がバタバタと面会室に入ってきて『昨日、処刑があった。隣の人だった。お元気でって言ってた。みんながっかりしている』と言ったんです。私は突然のことでボケっとしてしまって、『誰が?』とも聞けず、何も答えられず、フーンと答えるだけでした。その後は看守に言われたのか、死刑のことは一切話さなくなりました。その時のショックが拘禁症とも言われるような状態になったと思います。現実に隣の人が処刑されることがショックで精神的におかしくなってしまったんです」

 無実の自分が誤判で処刑されることが現実味を帯び、親しかった人の処刑で絶望感と恐怖感が一挙に強まったのだろう。何度か聞いた話だが、臨場感のある衝撃的な話に会場の緊張感が高まった。

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