『それでもボクはやっていない』周防正行監督が語った“日本で冤罪が起こる理由” 【袴田事件と世界一の姉】

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再審裁判を口にするようになった巖さん

 猪野さんは「最近の巖さんは裁判のことでもやもやしているんですか?」と向けた。

 するとひで子さんはこう話したのだ。

「再審開始で出てきた時から(巖さんは)勝ったと思っています。でも、マスコミなんかと接して『こりゃおかしいぞ、どうも勝ったわけではないんじゃないか』と思ってきたようです。(東京拘置所から)出てから1年くらいは胆嚢の手術をしたりしましたが、体の調子は良くなって出かけるようになった。それで、うちうち、わかってきたようです。『裁判は終わった』と言っていたのに、この頃はもやもやしているのか、『まだ再審開始になっていないんだなあ』とか、『再審開始は大変だね』なんて言ったりするんですよ。正気になった時だけですけど。やっぱりまだ半分は頓珍漢。今日も『私は出かけるからね、出るときは鍵かけてね』と言ってきました。差し入れてくれたうなぎパイ食べたり、子供のようなところがあるんです。元気で食欲旺盛です。少しでも巖を長生きせたい。再審開始してほしいですが、裁判所のことですからどう出るか。でも勝たなきゃ仕方ない。わたくしは勝つまで頑張ります」

 そう締め括ると場内は大拍手。「がんばれー」の掛け声も飛んだ。

 巖さんは2014年3月の釈放後、盛んに「俺は勝った」とか、「裁判なんてない」、「裁判は終わったんだ」などと語っていた。「儀式」という言葉もよく使ったが、裁判のことなのかは判然としない。

 拘禁反応の影響で思考回路がかなりおかしくなっていても、拘置所に閉じ込められていた身体が自由になり、ひで子さんのマンションで誰にも命令されず自由に生きていけることは体感しているだろう。司法手続き的な理屈はあまりわからなくても、体感的には「裁判に勝った」と感じていてもおかしくはない。

 巖さんは浜松市のパトロール中も市民から「頑張ってください」などと声をかけられてきたが、ひょっとすると本人は「勝ったのに何を頑張るんだろう」と思っていたのだろうか。

 ひで子さんは「裁判のことは巖には言わない」と話している。とはいえ、巖さんは自分の再審のことを新聞やテレビのニュースなどで見ることもある。「あれっ、俺はまだ勝ったんじゃないのかな」と気づき出したのかもしれない。再審裁判を意識し、実際にそれを言葉に出しているのはかなりの変化だ。

 ひで子さんは巖さんの拘禁反応について、「もう治らないと思う」とは語ってきた。しかし、釈放から8年近く経つ今、弟の微妙な変化で、ひで子さん自身も「もやもや」してきたのかもしれない。

 前後するが、この日、最初に再審請求審の報告をした小川秀世弁護士は、「5点の衣類(犯行着衣とされた)が味噌タンクに1年も入れられて血痕が赤いままのはずがないのは明らか。もう再審開始しかありません」と力強く報告した。

 ひで子さんは講演会の2日後の12月20日、「無実の死刑囚・袴田巖さんを救う会」の求めで寒風の東京で先頭に立って行進。再審開始を求める7700名の署名を東京高裁に提出し、記者会見に臨んでいた。

 筆者は東京にいたが知らず、25人が亡くなった大阪の火事も気になり、神戸に戻ろうとしていた。静岡駅で浜松に電話すると留守番をしていた猪野さんが「ひで子さんは救う会の要請で今朝、東京に行きましたよ」と言ったからびっくり。神戸から「全然知らなかった」とひで子さんに電話すると、「本当に急だったんですよ。要請行動に来てもらえないかって言われたので駆け付けたんですよ」。

 もうすぐ89歳になる袴田ひで子さん。一体どこまでタフなのか。失礼ながら、もはや「怪物」の域である。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

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