【豊臣兄弟!】寧々と茶々は「恋敵」ではなかった? “女狂い”秀吉を支えた「二人の正妻」の実像

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「奥手」として描かれる秀吉に違和感

 NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』で池松壮亮が演じる羽柴秀吉は、かなり真っ当な人間である。弟の秀長(仲野太賀)と並ぶ実質的な主役だから、「悪人」のように描きづらいのはわかる。だが、秀吉を女性に対して奥手の男として描くのは、いくらなんでもやりすぎではないかと思う。

 第39回「茶々の本心」(10月11日放送)では、信長の妹の市(宮﨑あおい)と浅井長政(中島歩)の長女である茶々(井上和、のちの淀殿)を、あらたな妻として娶ることが検討されるようだ。しかし、それを言い出すのは秀吉ではなく、秀長だという。妻の寧々(浜辺美波)とのあいだに子ができないので、後継者とすべき実子をもうけるため、別妻を娶るべきだと、秀吉ではなく秀長が言い出す。そして秀長は、別妻にふさわしいのは織田家の血を引く茶々だと主張するが、秀吉は寧々の心中を慮って、猛反発するという。

 もしかすると、秀吉は寧々の心中を慮るふりをするのだろうか。それにしても、弟にあらたな妻を斡旋してもらう必要がある兄は、さまざまな史料が伝える秀吉像とはもっとも遠い。たしかに、秀吉は実子には恵まれなかった。しかし、こと女性に関しては、恵まれるとか恵まれないとかいう以前に、自分で自分のそばに次々と呼び寄せたからである。

 最初に秀吉と寧々の関係からたどりたい。寧々の父とされる浅野長勝は養父で、実父は杉原定利といった。定利は杉原家利の娘、朝日殿の婿になり、寧々が産まれている。そして寧々の母であった朝日殿の妹婿が、秀吉の実母(のちの大政所)の弟、杉原家次なので、秀吉と寧々は親戚筋にあった。

 結婚した時期は永禄8年(1565)という説が有力で、秀吉が慶長3年(1598)に死去するまで30年以上にわたり夫婦だったわけだが、実子には恵まれなかった。秀吉には天正4年(1576)に死去した石松丸と呼ばれる実子(元服して秀勝と名乗っていたと考えられている)がいたが、母親は寧々ではなく、南殿と呼ばれる別妻か妾だったようだ。

寧々への手紙で秀吉の浮気癖を「言語道断」と断じた信長

 秀吉と結婚して以来、寧々は姑、すなわち秀吉の実母に尽くし、秀吉の家臣やその妻との関係を円滑にたもち、秀長をはじめとする親族との円満な関係を維持するために、表に出ずに一歩下がって秀吉を支え続けた。秀吉もそれを理解しているから、寧々のことを生涯、邪険にはあつかわなかった。

 だが、こと女性関係にかぎれば、秀吉が妻たる寧々の心中を慮っていたとは思えない。信長が寧々に送った手紙が現存するが(国の重要美術品)、そこで信長は夫の浮気に悩む寧々をやさしい言葉で慰めている。本能寺の変の前年である天正9年(1581)に書かれたとされる(異説もある)この手紙で、信長は自分を訪ねて土産も持参した寧々に礼を言い、秀吉に関しておおむね次のように書いている。

 そなたのように美しい女房がいながら、藤吉郎はしきりに不足を申しているとは言語道断で、どこを探しても、あの「はげねずみ(秀吉のこと)」は、二度とそなたのような女房を娶ることはできないだろう。だから、そなたも今後は身持ちを明るくして、正妻らしく堂々と構え、嫉妬するようなそぶりはしないほうがいい――。手紙を秀吉にも見せるように、という指示まで信長は書いている。

 秀吉の「女狂い」は早い時期からはじまっており、別の女性とのあいだに秀吉の実子もいたが、寧々は尊重されていた、ということがわかる。秀吉が大坂城(大阪市中央区)を築くと一緒に移り、天正13年(1585)に秀吉が関白に任官されると、朝廷から従三位に叙せられ、「北政所」の称号を許された。そして以前から果たしていた役割を、スケールを拡大してこなした。すなわち、朝廷との交渉役を務め、事実上の人質として集められた諸大名の妻子を監督した。

 監督したのはそれだけではない。イエズス会の宣教師、ルイス・フロイスの『日本史』には、次のように書かれている。

〈聞くところによれば、関白は大坂城内だけで、日本全国の諸侯貴顕の娘たちを三百名も側室(註・妾のことと思われる)としてかかえており、それ以外に第一夫人と認められる人がいる。彼女はきわめて思慮深く稀有の素質を備えており、他の婦人たちはこの第一夫人に従い、関白はあまりにも大勢の女性をかかえているので彼女と生活を営まないにしても、彼女を奥方と認めている。また婦人たちの多くの者は、その高貴さなり血統において彼女より優れているが、それでも彼女を崇めている〉(松田毅一・川崎桃太訳)

 秀吉の周囲には300人ともいわれる多数の女性がいて、彼女たちも第一夫人たる寧々に従っていたという。つまり、妾の監督も担っていたというわけだ。しかも、監督するに値する「稀有の素質」を備えていたという。それだけに秀吉も彼女を尊重し、頭が上がらなかったということだろう。

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