膵臓がん患者(62)が『イン・ザ・メガチャーチ』を読んで気づいた“雑談”という名のケア 自分の弱さを語ること、誰かの弱さに耳を傾けること

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“弱い存在である”という前提で生きる

 情報についても同じだった。

 テレビ、新聞、ネットニュース、SNS。そこから流れ込んでくる情報自体は、がんになる前と大きく変わったわけではない。変わったのは、私の側の感度だった。

 まず単純に、病気に関係する情報がやたらと目に入るようになった。医療保険に関する政策のニュース。がん対策についての特集番組。新しい治療法の記事。以前ならほとんど意識せず通り過ぎていた情報に脳が勝手に反応する。新聞の一面下部にある書籍広告の欄もそうだった。そこに医療や健康、病気に関する本がこれほど高い割合で並んでいることに、私はがんになって初めて気がついた。

 がんになってから、周囲の雑談がよく耳に入るようになったことも、同じことなのだろう。

 こうした感覚の変化は、自分を基準とした時間の流れそのものを変えることになった。車は一定の速度で走っているときには、その速度をそれほど意識しない。だが、ブレーキを踏めば、身体はそれまでの速度を否応なく感じる。
 
 それと同じように、私自身の感度が変わったことで、それまで意識することのなかった時間や情報の流れが、かえってはっきりと感じられるようになったのかもしれない。

 そして私は自分が「非がん世界」にいる健常者から少しずつ遠ざかり、「がん世界」に足場を移しつつあることを実感するようになった。だが、それは単純に何かを失っていくことだけを意味していたわけではない。

『イン・ザ・メガチャーチ』でアイドルが語ったように、自分が弱い存在であることを前提として生きるという、これまでの私にはなかった新しい扉を開いてくれることでもあった。

 がんになったことでこれまで通りの生活はできなくなった。しかし同時に、それまで聞こえなかった会話が聞こえるようになり、見えていなかった情報が見えるようになった。そして、自分の弱さについて語ることも、誰かの弱さについて耳を傾けることも、人と人との関係をつくる大切な一部なのだということを、少しずつ実感するようになった。

 友人たちに病気を伝えるという行為も、振り返ってみれば、その扉を開く最初の一歩だったのかもしれない。

※記事中で引用・参照した文献・資料の出典は以下の通りです。
『イン・ザ・メガチャーチ』(朝井リョウ著/日本経済新聞出版/2025年)

第1回【“余命宣告を受けたがん患者”が本格的な治療を前に「友だちと宴会を開いた」納得の理由…「結果的には正解でした」】では、友人関係を大事にするY・Jさんの“何とも言えない下心”について報じている。

Y・J
1963年生まれ。京都大学大学院を経て、テレビ局に就職し、数多くのドキュメンタリー番組や教育番組を手掛ける。退職後は大学に転職し、現在も教員としてメディア論や社会学などを教えている。

デイリー新潮編集部

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