“日系人社会によりそう皇室”の一方で…最も重要な南米ご訪問は「秋篠宮家の“独壇場”」といった印象も

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 秋篠宮ご夫妻は日本人の移住開始90周年を記念して、南米パラグアイを今月18日から9日間の日程で公式訪問される。歴代天皇が心を寄せてきた災害被災者と戦没者遺族、そして日系移民。その日系移民社会が広く根付いた南米諸国は「今や秋篠宮家のテリトリー」(元宮内庁担当記者)とも言われる。だが南米は戦前、戦中、戦後と移民が苦難と闘い続けた地。歴代天皇にとって「ある意味での“聖域”」(宮内庁関係者)だ。「南米と言えば秋篠宮家」(同元記者)とも言われ始めた現状は、果たしていつまで続くのだろうか。

国の大小では区別せず

 宮内庁によると、パラグアイでは現在も移住者やその子孫の日系人約1万人が生活している。ご夫妻は滞在中、ペニャ大統領を表敬訪問して記念式典に臨席するほか、1936年に日本人が初めて移住したラ・コルメナを訪れ、開拓中の事故で亡くなった人らの慰霊碑に花を供えた上で、日系人たちと懇談される。

 前出の宮内庁関係者は「12世紀以降の天皇は鎌倉時代、室町時代、江戸時代と続いた武家社会で、政治権力者ではなく権威者たる祭司王だった背景もあり、開国後は相手国に規模や国力の大小で序列を作らなかった経緯があります」と話す。

 余談だが、2009年に中国の国家主席就任を目前に控えていた習近平氏が、中国共産党のゴリ押しで在位中の上皇陛下と面会したケースは、旧民主党政権の“弱腰外交”が原因の特例だったとされている。

 一方で明治元(1868)年のハワイ移住に始まる日本人の海外移民は、明治政府が近代化を進める過程で外貨獲得手段の国策としたため、19世紀末から20世紀初頭にかけてハワイやアメリカ本土に続々と流れ込み、アメリカで排日感情が高まったことで対米移民は制限されるように。1908年、笠戸丸に乗った移民781人がブラジルのサントス港に到着し、その後、ブラジルが日本人移民最大の受け入れ国となった。

 戦中は北米で、12万人以上が砂漠地帯などの収容所へ強制連行された。ブラジルなど南米でも敵性外国人とみなされて収容所へ送られ、戦後も隔離や虐待、立ち退き強制などの人権侵害を受けた。ブラジルとハワイを中心に移民とその子孫の日系人には戦前、戦中、戦後と長年にわたった苦難の歴史がある。

 こうした背景から皇室は、南米とハワイの日系人社会に寄り添い続けてきた歴史がある。前出の宮内庁関係者はこう解説する。

「旧東久邇宮家の皇族だった方がブラジルに帰化したことに象徴されるように、日本の皇室は南米諸国やハワイを、国や地域として特別視しているのではなく“彼の地”に移り住んだ日本人とその家族、それを受け入れ共存してくれた現地の人々との交流を大切にしてきたという歴史があるのです」

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