“歌舞伎を救った米軍将校”“天皇会見に臨んだ従軍記者”の肉声…週刊誌ノンフィクションの金字塔「マッカーサーの日本」が描いた“占領下”の真実
マッカーサーより先に来日していた、カブキの救世主
『マッカーサーの日本』というからには、1945年8月30日、マッカーサーがコーンパイプをくわえて厚木飛行場に降り立つ、あの有名なシーンから始まるものと、誰もが思う。最初の章題も《“厚木一番乗り”の緊張》なのだ。だがこのルポは、そんな単純な構成ではない。マッカーサーを“迎える”準備をする先遣隊がいたわけで、このルポは彼らが“厚木一番乗り”するところから始まるのである。
〈終戦から9日目の昭和20年8月24日、マニラから沖縄に移動した“日本進駐一番乗り”部隊150人は、非常に興奮していた。〉
そのなかに、当時28歳のフォービアン・バワーズ少佐がいた。インタビューに応じたご本人いわく、
〈「もし、1人の米兵が殺されたら、また戦争になる。日本人の降伏がどれくらい本気なのか、それをテストするのが先遣隊の役割の一つであり、そのために“偉大なる将軍〔ゼネラル〕が着くまでに48時間の期間を与えられたのであった。われわれの装備といえば、ピストルとカービン銃だけであった」〉
彼らは〈とても小さな飛行場〉(厚木飛行場)に、強引に追い風着陸して、日本側を驚かせた。そしてテントに招かれてジュースやサンドイッチで“歓待”された。彼らは(毒が入っているかもしれないので)日本の食べ物は食べてはいけないといわれていた。しかし日本側が先に食べてみせたので、安心して口にした。飛行場の海軍機は、すべて事前命令通り、プロペラを外されており、〈「子どもが昆虫の首をもぎ取ったあとのように、荒涼たる風景であった」〉。
そしてバワーズ少佐は、日本人記者に、驚くべきことを聞いた――「カブキのウザエモンは元気か」。
すでにお気づきの方もいるだろう。この第1章に登場するフォービアン・バワーズ(1917~1999)とは、のちにGHQが封建的な歌舞伎を上演禁止しようとしたのに反対し、カブキを守ったといわれる人物である。『歌舞伎を救った男 マッカーサーの副官 フォービアン・バワーズ』(岡本嗣郎著、1998年、集英社刊→『歌舞伎を救ったアメリカ人』集英社文庫)で一躍有名になったが、すでにこの1968年の連載に“先遣隊の一人”として登場していたのだ。
〈ジュリアード音楽院で音楽批評を学ぶ芸術青年だった。太平洋戦争の少し前、民族音楽研究のためインドネシアに行く途中、立ち寄った日本で、彼はカブキに魅せられてしまった。歌舞伎を知りたい一心で日本に滞在。(略)現在、彼のニューヨークの書斎には、往年のカブキ俳優たちのサイン入りの写真が飾られ、最近の日本の小説も並べられていた。〉
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