「ガムテープを渡されて“女を縛れ、目も口も塞げ”」と…夜な夜なカップルが利用する「ホテル」で起きた難事件を昭和の週刊誌記者はどう取材したか

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 よく、“カップルが利用するホテル”がある国は、世界中で日本だけだといわれる。日本特有の住宅事情が根底にあるせいらしい。だが、いまや日本を代表する“サブカル文化”のひとつとして、面白がって、わざわざこの和製英語の施設に宿泊する外国人観光客もいるようだ。

 そんなホテルが全盛期を迎えたのは、1980年代前半である。週刊新潮の、いまはなき経済コラム《MONEY》欄でも「全国で3万5000軒 ホテル全盛の『秘密』」なる記事が掲載されている(1982年11月11日号)。それによれば、

〈(ほかの風俗店とちがい)法律上はただの旅館なので、住宅街に堂々と建ってしまうのである。今年はとうとう、全国で、3万5000軒を突破の見通しという。総水揚げでも、なんと「娯楽の王様」パチンコを抜いて3兆円の大台に乗るのが確実、といわれているのだ。〉
【注】現在は、風営法や自治体独自の条例で、住宅街に建設することはできない。

 ちょうどこのころから、館内設備に全自動機能やコンピューターが導入され始めた。入ってから出るまで、会計もふくめて、一切、ひと目にふれずに済ませられるようになったのだ。そのあたりも隆盛の理由だった。

 そんな時代が到来したとあって、1980年代前半の週刊新潮には、こうしたホテル関係の記事が実に多い。ただし大半は、犯罪がらみである。全国各地の“密室”内で、いったい何が起きていたのか。今回は、まさに「黒い報告書」を地で行くような、性と犯罪の取材レポートである。

「その8組の話を聞いてみようじゃないか」

 1980年秋ころから、関西のある特定エリアのホテルで、連続強盗事件が断続的に発生していた。舞台は、車で部屋前まで入り込める県道沿いのモーテルである。車がガレージに入ると自動的にシャッターが降り、すぐ目の前は部屋のドア。シャッターが降りたので、客はてっきり安心してしまい、室内に入る際、ドアの施錠を忘れてしまう。ほとんどのガレージには屋根がない。そこで賊は、塀を乗り越えて、悠々と室内に入り込んでくるのだ。

 そして、男女が一戦を終えてぐったりしていると、突如、目出し帽姿の男があらわれ、刃物を突きつけて「カネを出せ」となる。男女は裸同然で、脱力状態である。抵抗のしようがない。なかには、男性がガムテープで縛られて蒲団を被せられ、その間、女性が暴行されるケースもあった。当初は月に1回程度の犯行だったが、年が明けてから急増。1981年8月には、1週間に3件連続で発生する事態となった。

「当時、週刊新潮には、地方紙の面白い記事をダイジェスト紹介する《新聞閲覧室》という欄がありました。また、《黒い報告書》のネタ探しのためもあって、全国各地の地方紙を取り寄せていたのです。1981年の夏、ある記者が、関西の地方紙に、その事件の記事を見つけました」

 と回想するのは、まさにその1981年に入社したばかりのMさん(現在60代後半)である。

「月に1回程度発生していたころは、ニュースにならなかったようですが、さすがに1週間に3件連続となると、警察も本格的な捜査に乗り出し、けっこう大きな記事になっていました。なにしろ現場が現場なので、みんな被害届を出したがらない。警察もずいぶん苦労したようで、なんとか8組の被害を特定したと記事にありました」

 この事件を、当時の週刊新潮が見逃すはずはなかった。“新潮社の陰の天皇”こと斎藤十一重役が「その8組の話を聞いてみようじゃないか」と、恐るべき企画を思いつき、特集記事でいくことが決定した。それが《ホテル連続「強盗暴行」事件で泣き寝入り出来なかった「8組」》(1981年9月3日号)である。

 この記事では、Iデスクのもと、3人の取材班が組まれた。大ベテランのH記者(当時40代)、中堅のS記者(当時30代)、そして入社4カ月目のMさんである。3人はすぐに新幹線に飛び乗り、現地へ向かった。

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