男子マラソンで「2時間切り」の快挙…不可能を可能にした中距離ランナー「ロジャー・バニスター」が破った「1マイル4分の壁」を振り返る
自身の身体を実験台にして
翌43年7月にはアンデルソンが4分2秒6、さらには44年7月に4分1秒6に伸ばした。二人の記録争いは45年7月にヘッグが4分1秒4をマークして決着がついた。二人が牽引し、マイルレースの記録は限りなく4分に近づいた。だが、4分は切れなかった。「1マイル4分の壁」は逆に際立つ形となり、それは「レンガの壁」と呼ばれ、「人間には不可能」「医学的にも無理」「南極点に立つより難しい」などと表現された。
この不可能に敢然と挑戦したのがバニスターだ。実は52年のヘルシンキ五輪に出場したが、バニスターは4位に終わり、メダル獲得がならなかった。失意の底で、一度は「陸上競技をやめよう」と決意する。だが、やがて「1マイル4分の壁を超える」という夢への挑戦を決意する。
筑波大研究生の時、私が興奮したのは、教授が話してくれた次のような話だ。
「バニスターは猛練習を重ねるだけでなく、生理学的な知識と工夫をトラックに持ち込んだ。医学生のバニスターの練習時間は、昼休みの30分しかなかった。彼は、自分の身体を実験台にして、科学的にトレーニング成果を確かめながら挑戦を続けた」
ついに破られた「壁」
1970年代半ば、日本のスポーツ界では根性論が主流だったから、そうした科学的なアプローチで自己を高めるアスリートの実話は衝撃的だった。
ニール・バスコム著『パーフェクト・マイル 1マイル4分の壁に挑んだアスリート』(ソニー・マガジンズ刊)には、次の記述がある。
《動脈の二酸化炭素濃度、血中乳酸、肺の喚起、頸動脈化学受容、酸素混合物、過呼吸、ガス圧――バニスターはトレーニングが自分の身体におよぼす効果を表すのに、こうした用語をもちいた。一九五三年三月に準備していた論文の題名はこうだった。「激しい運動時の呼吸に二酸化炭素がもたらす刺激」》
バニスターは1954年5月6日、オックスフォード大学のイフリーロードで開かれたレースで二人の仲間(ペースメーカー)とともに“4分切り”に挑み、見事3分59秒4で「1マイル4分の壁」を破った。ギネスワールドレコードの公式サイトが、バニスターの独白を紹介している。
「地面がともに動いている気がした。そこで、今まで気づかなかった力と美しさの源を見つけたんだ」
「医者や科学者は、1マイル4分を切るのは不可能で、挑戦すれば死に至ると言われました。なのでゴール後に倒れてから起き上がったとき、私は死んだんだと思いました」
バニスターは金メダルには届かなかった。だが、五輪のメダルより貴い、スポーツと人類の新たな歴史を拓いた功労者として、いまも敬意を持って語り継がれている。
2000年にはアメリカ「ライフ誌」が選んだ「この1000年で最も重要な100人」に、存命人物としてただ一人選出されている。
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