昭和のジャンプ漫画も取り上げた「毒入りコーラ事件」の衝撃…大量の猛毒「青酸ナトリウム」をバラ撒いた“犯人”を逮捕できなかった理由
著名人も事件を推理
報道各社も、識者の様々な“推理”を展開した。
〈「いたずら、清涼飲料にからんだいやがらせ、一家心中をしようと家出して現場に置き忘れた、の三つの仮説が考えられるが、今回の事件は状況から、いたずらの線が濃いようだ。しかも、これに愉快放火犯、個人的な爆破狂の心理も加味されているのではないか」〉(作家・佐野洋氏 読売新聞1月5日付)
〈犯人は土地カンがあるようにいわれているけれど、簡単に決めつけるのは危険だ。仮に車を使っているとすればハンドルを握っている人間の行動範囲は広く、自分と無関係の土地に出かけていってコーラのびんを置いたことも考えられるからだ。これまでの経験では、兄弟げんかや夫婦げんかのもつれ、物盗りが青酸事件の動機だった〉(元警視庁捜査第一課警視・平塚八兵衛氏 毎日新聞1月6日付夕刊)
〈犯人は社会からうまく受け入れてもらえない人ではないだろうか。たとえば集団就職で東京に出てきたが、給料も安いし、みたされないものが心の中にたまっている人……そんな感じがします〉(漫画家・西沢周平氏 同)
ところで、この記事を読んで「落ちているものを、なんで平気で拾うの?」と疑問に思われた読者もいるのではないか。口の中に入れる飲食物はさすがに少ないとしても、昭和の時代は「拾う」ことに抵抗がない物が、確かにあった。
例えば、電車の網棚に放置された新聞・雑誌。さすがに、道路の上に捨ててあるものは無理としても、電車の中なら気にもせず、移動の合間の暇つぶしに、手に取って読む乗客がいた。スマートフォンに没頭する乗客であふれる令和の今では想像もできない光景である。また、繁華街の路上では、古雑誌を集めて格安で販売する人もいた。コーラの空き瓶は指定の店に持参すれば買い取る制度があり、空き瓶拾いに精を出す人の姿もあった。清涼飲料水はペットボトルが主流になった今では、懐かしい光景である。
青酸ナトリウムには工業用と、薬局などで市販している試薬用があるが、その後の警視庁の捜査で、コーラに混入された青酸ナトリウムは工業用であることが判明する。工業用は純度が低く、その大部分がメッキ工場で使われていることから、捜査の重点が絞り込まれたことになるが……事件は未解決のまま、1992年に時効を迎えた。
「メッキ工場を中心に、不審者や退職者など、相当数の対象者を洗いました。しかし、有力な容疑者は挙がらず……。大捜査を展開したのですが、その網を潜り抜けるように、捕まることはありませんでした」(同)
人気マンガにも…
当時、家庭や学校では「外にある食べ物や飲み物を拾うな」と親から厳命される子どもがいれば、不審なジュースや食べ物が外にあるだけで通報が入るなど、事件の与えた衝撃は大変なものがあった。さらに、事件の影響は社会生活だけでなく、マンガの世界にまで及んだ。
集英社が発行する『少年ジャンプ』に連載中だった『ドーベルマン刑事』(作・武論尊 画・平松伸二)で、この事件をモデルにしたと思われるエピソードが昭和52年に掲載された。「大都会の孤独!!の巻」である(集英社文庫コミック版 第7巻所収)。
新宿駅の地下道で浮浪者が凍死した。多くの乗客が通りかかったが、誰も気づかないことがニュースになる。自動車部品工場で働く一人の男。職場での話し相手も、もちろん恋人もいない……。そして、青酸ナトリウム入りコーラを飲んで死者が2名出た。警視庁特犯課の加納刑事が現場に臨場する。動機面がわからないと悩む刑事たちを前に、加納刑事は言う。
「動機はある。人恋しさだ……」。そして、具体的な犯人像を挙げる。
「若い男で独身、メッキを扱う工場の従業員で友だちづきあいのないやつを洗え!」
そのころ、例の男は事件を大きく伝える新聞を見て喜んでいた。日本中が自分のために動いている、今までだれも見向きもしなかった自分のために、だ。もう自分は一人ぼっちじゃない……誰にも相手にされず、カネもなく、友達も恋人もいない。大都会の孤独は、男の鬱屈した感情を、無差別殺人事件へと爆発させたのだ――しかし、加納刑事の追及はゆるむことはなかった。
事件から49年目の正月、“真犯人”はどこで何をしているのか……。
【第1回は「全てのはじまりは「電話ボックス」に置かれた「コーラ瓶」…1977年の新年に日本を騒然とさせた無差別殺人「毒入りコーラ事件」の全貌」正月気分を吹き飛ばす重大事件の発生。その衝撃は?】
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