住友家令嬢と6日間の“逃亡”…令嬢ばかりを狙った「戦後初の誘拐犯」、24年後に明かした内幕「ときどき思い出しますよ。結婚したかなあって」

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昭和の有名な誘拐事件

 終戦を迎えた1945年を境に3回も少女を誘拐。しかも狙ったのは、混乱期にあっても女中や運転手が送り迎えをするような“良家の子女”ばかり。そのうちの3つめの事件、住友家令嬢の誘拐は1946年9月17日に発生した。犯人Hの逮捕と令嬢の保護はそれから6日後のことである。

 当時大きく注目された「連続少女誘拐事件」は、その後も昭和の事件をテーマとした書籍になどにたびたび登場する。令嬢ばかり狙うという傾向はもちろん、誘拐された側が犯人を「お兄ちゃん」と呼ぶなど、恐怖心をみせなかったという奇妙さゆえだ。Hは戦災孤児のきょうだいを装うなどして、令嬢を連れまわしていた。

 無論、誘拐は今も昔も凶悪犯罪だが、Hの目的はいったい何だったのか。住友家令嬢の事件から24年後、「週刊新潮」は服役を終えて家庭を持っていたHを直撃し、当時の詳細な内幕や心情を聞き出していた。「戦後初の誘拐犯」はかく語りき――。

(以下、「週刊新潮」1970年8月22日号の掲載記事を再編集しました。文中の肩書、年齢等は掲載当時のものです)

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まったく“庶民の生活”ですよ

 東京郊外の公営住宅の2DKに、1人の左官職が住んでいる。H、45歳。近ごろの人手不足で、仕事はすこぶる忙しいらしい。晩婚だったため、2人の子供はまだ幼い。彼は言う。

「いま、子供が2人。まあ左官でかせいで食うのが精一杯だけど、平和で幸せですねえ。自分でも子煩悩すぎるかと思うくらいだが、子供は可愛いからねえ。まったく“庶民の生活”ですよ」

 これが、戦後誘拐事件の犯人第1号の“現在”である。

 Hは、昭和20(1945)年春から29(1954)年春までと、36(1961)年春から37(1962)年末までの2回、青春時代のほとんどを獄舎で過ごした。終戦の昭和20年を境に、前後3回も少女誘拐の罪(その後に窃盗など)を犯したからである。

 最初が男爵家令嬢(1944年)、その罪で服役中に逃走して会社専務令嬢(1946年)、そして同じ年には“日本誘拐史”上にその名を残した住友家令嬢Kさん誘拐事件……。

 戦後の上流家庭を震撼させたその犯人が、いまではこんな具合だ。

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