住友家令嬢と6日間の“逃亡”…令嬢ばかりを狙った「戦後初の誘拐犯」、24年後に明かした内幕「ときどき思い出しますよ。結婚したかなあって」

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2人で朝鮮へでも逃げようと思った

「この娘さんと疎開先で同級生だったのがK(小学6年生、当時11歳)ですよ。半年の旅の間に、住友家のことをすっかり調べていたんです。三大財閥のひとつだから、これをやってやろうと思った。それで横浜の家の様子を見ていたら、ふだんは自動車で通うのに、それが故障してしまったんだね。終戦直後だったから燃料が悪かったんだろうね。そのために電車で通いだした。その翌日、学校の近くで待っていて、“あんたが誘拐されそうになっているから、私が守ってあげる”といったら黙ってついてきた。

 きっと今でいうガードマンぐらいに思ったんだな。実は、この時はハッキリいって財閥に対する反感と金が目的だった。だから、身代金を要求した。金額? 金額はいいでしょう、逃走資金ですよ。2人で朝鮮へでも逃げようと思ったんです。まあ、自分は身代金目的の誘拐犯戦後第1号ですよ」

 誘拐から4日目に国鉄中央線の車中で向かい合った老婆の機転で、その2日後にHは逮捕されたのだが、“己が罪”をこんな調子で語るようでは、事件それ自体を本気で反省しているとは受け取りがたい。もちろん、刑余の彼には人知れぬ悩みもあろう。彼はこうも言う。

「前歴についてはいっさい女房に内緒だから、思い出しても自分1人で苦しむだけです。そりゃ、つらいですよ。仕事のこと、子供のことばかりを考えてなるべく思い出さないようにしている。キザな言い方だが、忘却の彼方に押しやってしまうように。それでもときどきKさんのこと、思い出しますよ。結婚したかなあ、子供もいるんだろうかなあって……」

人間ぎらいになったということはない

 Hが逮捕された当時、「お兄ちゃん(Hのこと)に初めて映画も見せてもらったし、化粧箱も買ってもらった」とあどけなく、風変わりな旅行でもしたような印象を語ったKさん。のちに海外への音楽留学を経て結婚、2児の母となった。

 避暑に出かけているというK夫人に代わって、夫はおだやかな口調でこう語る。

「犯人が現在、立派に更生して暮らしているのは結構なことだと思いますよ……。例の誘拐事件のことは、実はこの間、近所にいる警察関係の知人とも話したんですけれど、あの時代は犯罪もずいぶんノンキだったんですね。今みたいに殺伐としておらず、誘拐してすぐ殺すとかそんなことは、あまりなかったようですね。

 事件当時、本人(Kさん)は幼かったので、今聞いても覚えてないといいますしね。ああいう事件が、はたして子供心に深い影響を与えるものなんでしょうか、どうでしょう。私は心理学者じゃありませんから、そこのところはよくわかりませんけれど。ただ、それ以来、妻が人間ぎらいになったということはないですね。私もこの事件をべつに気にしてはおりません」

 夫は事件について、当時の新聞を縮刷版で読んだことがある。が、それも「その記事を特に読もうと思ったんではないんです。たぶん、何かほかの記事とダブっていたためだった」からだそうである。

デイリー新潮編集部

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