住友家令嬢と6日間の“逃亡”…令嬢ばかりを狙った「戦後初の誘拐犯」、24年後に明かした内幕「ときどき思い出しますよ。結婚したかなあって」

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連れてどこかへ行ってみたい

「いまから考えれば、悪いことをしたと思いますね。自分が子供を持ってみると、他人に誘拐されでもしたら、親はどうなっちゃうだろう、と思う。子供を持ってみて、親のつらさが身にしみた」

 これをHの「素直な懺悔」と受け取るか、「今ごろ、ムシのいい言い分か」とみるか。彼が事件そのものを“回顧”する口調はスラスラとよどみない。いくらか饒舌(じょうぜつ)でもある。

「当時のことをキチンと説明はできないけど、財閥とか、金持ちとか、娘を学習院や白百合女学校にやるような家に反感を持っていたね。自分は茨城の田舎の貧乏人の子供だからね。しかし、そうだなあ、反感だけじゃないね。自分もそういうふうになってみたい、というようなあこがれもあったね。そういういい家の娘といっしょにいたい、連れてどこかへ行ってみたい、という気持ちもあった。だから、初めから金が目的というんじゃない。そういうことは、あまり考えていなかったなあ。ホントに」

 良家の子女へのコンプレックスとその裏返しが犯行の動機だった……と彼自身が“解説”する。「今だから言う」といった口調である。

べつに何もしない、いわば放浪ですね

 昭和19(1944)年のM男爵家令嬢(小学5年生、当時11歳)の場合、女中の付き添いで通学していた彼女が、ある日筆箱を落とした。それをHが拾って、あとをつけながら田園調布の家まで届けた。

「それら10日ばかりネラっていたところ、やっと家の近くで遊んでいるのを見かけた。それで“この間はどうも……”とか言って連れ出したんです、旧制高校の制服姿で……。その子は3日ばかり連れて歩き回りましたよ。べつに何もしない、いわば放浪ですね。やさしくしていたから彼女も怖がらなかったですよ」

 国鉄の機関助手をしたことがあるHは、彼女を品川駅構内の客車内に連れ込んだりと神出鬼没。だが3日後に逮捕されて、

「そりゃ、ひどくヤキを入れられた。木刀でぶん殴られた。いまでも、その傷が残っていますよ。まあ、相手の親戚には宮内省(注=当時)関係の人もいるしね。そこで金持ちとか、上流の家に反感を持ったんだ」

 2番目の会社専務令嬢(小学5年生、当時11歳)は、さきの男爵令嬢に「よく似ている」という理由だけで学校帰りを誘拐され、Hと共に北海道から九州まで放浪の旅を続けることになった。

 半年後、身代金1万5000円と引き替えに、彼女は母親の胸に抱かれた。だが、Hは警察の追及をのがれて逃げた。

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