「自分の肩の肉を口に…」 世代を超えて見てほしい戦争映画の傑作10選

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戦争映画の先がけ

 戦後、日本の戦争映画は、〈敗者が持つことができなかった映像〉を再現することによって、一大ジャンルを築くことになる。その先がけになったのが、東映の前身である東横が製作した1950(昭和25)年公開の「日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声」。学徒出陣によってインパール作戦に参加し、ビルマ戦線を敗走する学徒兵を描いた反戦映画だ。1943(昭和18)年、雨の明治神宮外苑競技場を行進する出陣学徒壮行会の映像は、今も見る機会が多い。戦中の国民が目にしたのも、ここまでだった。彼らがその後、どんな運命をたどったか。敗者が持たなかった映像を再現したのが本作である。ジャーナリストの立花隆は、小学5年のときに本作を見て、「日本軍(学徒兵)が太平洋戦争の末期、あのような凄惨(せいさん)な最期を遂げていたとは夢にも思わなかったから、印象はあまりにも強烈だった」(『知的ヒントの見つけ方』文春新書)と語っている。

戦争映画のパターン

 1951(昭和26)年9月、サンフランシスコ講和条約が結ばれ、翌年4月に公布・発効されると、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による干渉がなくなり、戦争映画も自由な表現が可能となった。それまで直接的に描くことができなかった原爆の悲劇をテーマにした「原爆の子」(1952)、軍隊内部の陰湿な暴力を描く「真空地帯」(同)などがいち早く登場する。しかし、これらは独立プロダクションの作品であり、大手映画会社が動き出すのは翌年まで待たねばならなかった。

 明けて1953(昭和28)年は、大手映画会社がこぞって戦争映画の大作を手がけるようになった。きっかけは、東映の「ひめゆりの塔」(1953)だった。沖縄戦で悲劇的な運命をたどった「ひめゆり部隊」の女子学生たちを本格的な戦闘場面を盛り込んで描き、記録的な大ヒットとなった。続いて、飛行予備学生の手記を映画化した松竹配給の「雲ながるる果てに」(同)、山本五十六を主人公に真珠湾攻撃から死までを描く東宝の「太平洋の鷲」(同)、吉田満の『戦艦大和ノ最期』を映画化した新東宝の「戦艦大和」(同)、陸軍大将・山下奉文を描く東映の「悲劇の将軍 山下奉文」(同)などが続々と製作されていったが、日本の戦争映画の形式は、ここでほぼ出尽くしたと言っていい。それは次の3パターンに分けられる。

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