「『カオナシ』は当初、名前もない端役だった」引退を撤回した宮崎駿のアイディア力とスタジオジブリの仕事術

芸能2017年5月24日掲載

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引退を撤回した宮崎駿監督 (C)Natasha Baucas/Wikimedia Commons

 19日、宮崎駿監督が引退を撤回したというニュースが日本中を駆け巡った。新作のテーマは発表されていないが、公式ホームページによると「宮崎監督は『引退撤回』を決断し、長編アニメーション映画の制作を決めました。作るに値する題材を見出したからにほかなりません」とのこと。宮崎駿監督が長編アニメーションを手掛けるのは2013年の『風立ちぬ』以来とあり、ジブリファンだけでなく、世界中からどんな内容になるのか既に関心が寄せられている。今後、新作に関する情報を各メディアが注目し、「スクープ」を狙う事態になることは間違いないだろう。

 もっとも、当の宮崎監督ですら、その内容を固めきっていないのかもしれない。というのも、宮崎監督の一番のヒット作『千と千尋の神隠し』に関して、こんな興味深いエピソードがあるのだ。

 同作は言うまでもなく興行収入は300億円超。日本歴代興行収入第1位を達成し、さらにはアカデミー賞長編アニメ映画賞も受賞した作品である。この映画の語るうえで欠かせないのが、「カオナシ」というキャラクターだ。セリフもなく、謎のキャラクターにもかかわらず、観客に強烈な印象を与えたのは言うまでもない。

 ところが、実は「カオナシ」、当初の構想では、完全な脇役だったのだという。プロデューサーの鈴木敏夫氏はこのあたりの経緯について自著の中で秘話を明かしている(以下「 」内、『ジブリの仲間たち』(鈴木敏夫・著)より抜粋、引用)。

■名前もない脇役だった「カオナシ」

「(『千と千尋の神隠し』の)あらすじを宮さんから聞かされたとき、僕は正直ピンとこなかったんです。分かりやすいファンタジー活劇ではあるけれど、単純すぎやしないかと思った。僕の不満そうな反応を見た宮さんは、その場ですぐに新しい案を考えました。

『あ、そうだ! 鈴木さん、こいつ覚えてる? 橋のところに立ってたやつ』

 それがカオナシでした。もともとは、たくさんいる神様たちのひとり。名前もない脇役だったんです。そこから宮さんは瞬く間に発想を広げ、カオナシがいろんなものを飲み込みながら肥大し、湯場で暴れるまわるというお話を作り上げていきました」

 分かりやすいファンタジー活劇か、それともカオナシが登場する新しいストーリーか。鈴木氏は新しいストーリーの方が面いと感じながらも、カオナシという、人間の心の底にある闇を象徴するようなキャラクターを出すことで、映画が「ああ、おもしろかった」ではすまない、難しい映画になるのではないかと悩んだという。しかし、カオナシ=心の問題を取り扱ってこそ、ただの娯楽作品ではない“現代との格闘”を描いた作品になると感じたという。ゆえに宮崎監督から最終的な決断を迫られた時、つい「カオナシの方で」と言ってしまったと振り返る。

「そういう映画にすると決めたからには、宣伝にもカオナシを最大限に使って行こうと思いました。宣伝関係者を集めて、そのことを告げると、みんな怪訝そうな顔をします。聞いてみると、みんなはこの映画を『千尋とハクのラブストーリー』だと思っているんです」

監督自身も気づいてない

 絵コンテを素直に読めば、ラブストーリーが話の中心でないことは明らかだと思った鈴木氏は、キャラクターごとの登場時間を計算した。すると当然1位は千尋だったが、2位はなんとカオナシだったのだ。

「やっぱりこれは千尋とカオナシの映画だ――ぼくは確信を深めて、みんなにその数字を示しました。ただ、それでもまだ納得しない人が多かった」

 しかしカオナシこそが映画のテーマをストレートに表現する宣伝だと確信していた鈴木氏は、カオナシを使った広告を大々的に展開し始めた。すると普段、宣伝に関心を示さない宮崎監督がプロデューサー室にやってきてこんなことを言ったという。

「『鈴木さん、なんでカオナシで宣伝してるの?』『いや、だって、これ千尋とカオナシの話じゃないですか』『え!? 千尋とハクの話じゃないの……?』

 宮さんはショックを受けた様子でした。その後しばらくして、ほぼ完成したラッシュフィルムを見た宮さんが、あらためてぼくに言いました。

『鈴木さん、分かったよ。これはたしかに千尋とカオナシの話だ』
 
 宣伝関係者だけじゃなくて、監督自身も気づいていなかったのです。
 
 たぶん、作家には2つのタイプがいるんだと思います。意識的に時代を分析してものを作るタイプと、必死で物語と格闘しているうちに、いつの間にか時代の深層にあるものを掴んでしまうタイプ。宮さんは後者でしょう」

 そんな宮崎監督が今回掴んだ「作るに値する」テーマとはなんなのか? そしてそこで描かれる宮崎監督自身も気づかない「時代の深層」とはなんなのか? 今から期待が膨らむばかりである。

デイリー新潮編集部