「となりの山田くん」はジブリの黒歴史なのか 鈴木敏夫氏が語った「あえて興行成績を落とした理由」

映画 2016年6月24日掲載

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 スタジオジブリの作品といえば、「ヒット」の3文字とセットで語られることが常だが、30年の歴史の中で、初めて赤字となった作品をご存じだろうか。

 1999年公開の『ホーホケキョ となりの山田くん』である。

 空前の大ヒットとなった『もののけ姫』に続いて公開された同作品は、公開館数や宣伝の問題もあり、公開時には制作費を回収する興行成績をあげられなかった(その後、ビデオ化などで最終的に黒字化)。

 しかし、実はこの敗戦、制作側ではある程度織り込み済みで、プロデューサーの鈴木敏夫氏は、こういう経験が必要だと当時考えていたのだという。名プロデューサーとして知られる鈴木氏が、これまでのジブリの宣伝、広告の内幕を明かした新著『ジブリの仲間たち』で、「あえて」興行成績を落とした時の考えを次のように綴っている(以下、引用)

プロデューサーの鈴木敏夫氏

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 これは言い方が難しいんですけど、僕はジブリというスタジオにとって、『山田くん』のような経験も必要だと思っていました。

 というのも、僕は「アニメージュ」(注・鈴木氏が編集長をつとめていたアニメ雑誌)時代に、似た経験をしているんです。

 1978年、7万部からスタートした「アニメージュ」は、『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』『機動戦士ガンダム』のブームもあって、みるみる部数を伸ばしていき、最高45万部まで行きました。定価は590円ですから、売り上げを単純計算すると約2億7000万円。徳間書店にとってはドル箱雑誌になりました。

 デザインはずっと真野薫さんというデザイナーがやってくれていたんですけど、あるとき彼にこんなことを言われたんです。

「最近、調子いいじゃない。でも、おかげでロゴの色を変えられなくなっちゃったよ」

「え、なんで?」

「売れてる雑誌って、やっぱりぜんぶ金赤(黄色がかった赤)だから」

 デザイナーとしては、自由がなくなって息苦しいというんです。「雑誌の中身もそうなってきているよね」とも言われました。

 僕はショックを受けました。そして、考えたんです。そして、あえていちど部数を落としてみようと考えた。

 そのとき思いついたのが、宮崎駿の特集号でした。世のアニメーション雑誌が、『ヤマト』『999』『ガンダム』で大騒ぎしているなか、あえてまだ知名度の低かった宮崎駿の特集に32ページを割く。それは僕が本当にやりたい企画でもありました。構成案を見た同僚の亀山修はびっくりしていました。

「本当にこの特集やるの?」

「うん。だめかな? 亀ちゃんだって宮さんの取材したいでしょう」

「そりゃそうだけど、やばいよ。これやったら半分返ってくるぞ」

「でも、やりたいんだよ」

 僕は真野さんの言葉を伝えて、「売れ行きにこだわるあまり、誌面から自由がなくなるほうが問題だ」と話しました。二人で「いつぐらいの誌面がいちばんよかったんだろう?」と話しあった結果、20万部のころじゃないかという結論になった。

 実際、その特集号は実売部数がみごとに半分になりました。

「なんでこんなに落ちたんだ!?」

 社内は大騒ぎです。急遽、会議が開かれ、僕らも呼び出されました。編集部としての見解を聞かれたんですけど、「いや、分からないんですよね……」とシラを切りました。

 会社は1回だけのことだろうと判断して、翌月もまた40万部刷ろうとしていました。でも、僕はもう40万部売れる誌面を作るつもりはない。刷り部数を減らしてくれと言ったんですが、なかなか聞いてくれない。そうこうするうちに、実売が18万部まで落ちてしまった。これは僕としても想定外でした。そこから、あらためて2万部増やすのには苦労しました。

 でも、次第に悪くても18〜19万部、いいときは22〜23万部あたりで落ちつくようになり、返本率も1割以内に戻すことに成功しました。そうしたら、編集部の雰囲気もまたよくなってきたんです。みんな雑誌を作ることを楽しみはじめた。

 ヒットが続くと、会社や周囲からのプレッシャーが高くなって、作る人間も数字を追いかけるようになります。そうすると現場は萎縮してしまう。自由を取り戻すためには、どこかで数字をリセットしなきゃいけない。

 ジブリでも同じことをすべきなんじゃないか? 

 そうしたら、スタジオが置かれた状況を正常に戻せるかもしれない──『もののけ姫』のあと、そんなことを考えたのは確かです。

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 もちろん、当時と今とでは時代状況、経済環境は異なる。

 鈴木氏自身、このあと、『山田くん』の経験によって、「ジブリが自由になったかというと、そう簡単には行かなかった」と振り返っている。

 しかし、この「あえて」の経験後、ジブリは『千と千尋の神隠し』という歴史的なヒット作を生み出すことになるのである。

デイリー新潮編集部