DX時代なのに直筆サイン本を作っている 矛盾した行動で複雑な気持ちに(古市憲寿)
この連載をまとめた『正義の味方が苦手です』という本が発売された。
出版時に著者はサイン本なるものを作ることがある。僕も今回、新潮社の暗い会議室でサイン本を作ることになった。スタンプを押してちょっと凝った作りにしたため、何人もの編集者が手伝ってくれた。
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積み上げられた本に僕がイラストと名前を書き、隣の編集者がスタンプを押し、さらに隣の編集者がインクがにじまないように間紙を挟み、そして段ボール箱へ詰めていくという地味な仕事である。教科書に載っていた家内制手工業という用語を思い出す。
若い編集者が「サイン本作りがここまで地道で大変な作業だとは思いませんでした」というメールをくれた。確かにDXなどといわれる時代に、これほど人間の手を煩わせる作業も珍しい。だが機械化できるかといえばそれも難しい。一応、著者の直筆には価値があるという前提でサイン本は作られているわけで、機械任せにはできない(ちなみに代筆ロボットは実在する)。
本の価値は、著者がいなくても情報が伝えられる点にある。文字がない時代、正確な情報伝達は困難を極めた。口伝が精いっぱいなので、伝言ゲームのように内容はどんどん変わる。それが文字の誕生によって、距離や時代を超えて思想や物語を伝えられるようになった。
かつては膨大な手間をかけて写本が作られたが、今は印刷工場で大量生産が可能だ(写本でもまかなえそうな数しか売れない本も多いが)。電子版ならば印刷の手間さえかからない。
そのように人間の叡智によって誕生した本というメディアに、家内制手工業のような労力をかけてサインを書いていく。何だか複雑な気持ちになる。
同じようなことをニューヨークでも体験した。ニューヨーカーはとにかく信号を守らない。赤信号であろうと、一瞬でも自動車が来ないと思ったら我が物顔で道路を渡る。何なら車が来ていても渡る。当然、街中では日々クラクションが飛び交う。交通事故も多発する。
その事態に世界が憧れる街ニューヨークはどう対応しているのか。大通りの各交差点に、黄色いベストを着た交通エージェントが配置され、人間が笛を吹きながら車や歩行者を誘導しているのである。
交通信号機には100年以上の歴史がある。比較的早く省人化・無人化を達成したにもかかわらず、再び人間の手を介して交通整理が行われている。生き馬の目を抜くような厳しい街ニューヨークに現れた、非常に人間らしい光景である。
『正義の味方が苦手です』は、自分で書いた文章なのに、一冊の本として読み直すといろいろな発見があった。「ファクトは感情に勝てない」「はやるとはバカにされること」など、「現代のことわざ集」としての趣もある。そして近年の日本には元首相暗殺やコロナなど重大事件が相次いだ。不安な時代をどう受け止めればいいかのヒントが詰まっていると思う。よければサインがなくてもお買い求め下さい。