「批評するならやってみな」 ビートたけしの大正論

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みんな「批評家」になった

 先日終了が伝えられた「とんねるずのみなさんのおかげでした」には、最近、同性愛者を笑い者にしたのではないか、という批判が寄せられ、フジテレビの社長が謝罪するまでの事態に発展した。

 茂木健一郎氏のように、外野から「テレビはオワコン」と言うのは自由だけれども、現場の状況がどれだけわかっているのか。予算不足以外にも、現場を苦しめているのが、「一億総批評家」とも言うべき風潮だ――前回に続いて、ビートたけしのテレビ論を『バカ論』からご紹介しよう(以下、引用は『バカ論』第4章「バカがテレビを語っている」より)。
 

「特にテレビで顕著なんだけど、それまでは『お客さん』だった人たちが、いつの間にかみんな『批評家』になっちゃった。それもネットの影響かどうかはわからないけど、視聴者が批評家然としてふるまうようになってきたのが、今という時代の特徴。

 それがどんどん歪んでいくと、もはやクレーマーと変わらない。だから『食い物を粗末にするな』とか、やれ『子供に見せられない』とか文句を言い始める。ほっとけばいいのにテレビ局もそうした意見に過敏になっちゃって、芸人がパイ投げしている最中に『後ほどスタッフが美味しくいただきました』なんていうくだらないテロップを出してしまう。その不作法な感じが許せないし、こういう忖度がテレビをダメにしている。

 TBSで毎週土曜日に「新・情報7days ニュースキャスター」という番組をもう10年近くやっているけど、毎回、安住アナが放送中に何か訂正している。

『先ほど容疑者の職業を美容師とお伝えしましたが、理容師の間違いでした。慎んでお詫び申し上げます』なんて、どっちでもいいよ」

じゃあやってみろ

「自称批評家」に対しては、昔からフラストレーションがあったという。

「映画でも野球でも、『それじゃあただのクレームじゃねえか』というようなことを平気で言う、自称評論家がいるんだから参っちゃう。

 そんな奴らに昔からおいらが言ってきたのは、一言だけ。

『じゃあ、お前がやってみろ』

 今のテレビに文句を言いたいならば、厳しい予算や状況の中で、もっと面白いものを作る方法を教えてほしい。ついでに権力者への批判もお忘れなきよう。

 やってみれば、笑いというものがいかに難しいものか、というのがわかると思う。そうすれば簡単に文句も言えなくなる」

欧米はエラいのか

 さらに、茂木氏に限らず欧米を良い手本とする風潮にも疑問を呈している。

 たしかにテレビでも外国の人気番組のフォーマットを輸入、加工することがヒットの方程式だった時代があった。しかし、もうそんな時代ではない、とたけしは断言する。「欧米のテレビと比べて、日本のテレビはダメ」といった批判は、「今のプロ野球には王、長嶋がいない」と言うのと変わらない、というのだ。

「今は『トリプル3』の山田哲人や筒香嘉智がいて、さらに二刀流なんてとんでもないことを実現しちゃった大谷翔平までいる。それなのに、『今のプロ野球には王、長嶋がいない』なんて嘆いてもしょうがないだろう。時代が違うだけで、むしろ技術は今の選手の方が上のはず」

「じゃあお前がやってみろ」「いつまでも欧米をありがたがってんじゃない」といった指摘は、テレビやお笑いに限らず様々なジャンルでそのまま通用しそうなツッコミになっているのはさすがといったところだろうか。

 もちろん、外野からの意見にも意味がないわけではない。『バカ論』の中でも、かなり手厳しく茂木氏のツイートを批判しているのだが、最後にこんな言葉も添えている。

「擁護するわけじゃないけど、茂木さんがそういう意見を言うこと自体は悪いことじゃないと思う。それはどんどん言えばいい。ただ言われた側も、その内容についてきちんと反論なりアンサーをしていけばいいんだよ」
 
 批評、批判の時の物言いも大事ということだろうか。それにしてもあちこちで袋叩きとなった茂木氏もこの言葉で救われた気持ちになるかもしれない。

 実際『バカ論』刊行後、茂木氏は自身のツイッターに以下のようなコメントを寄せている。

「ビートたけし『バカ論』(新潮新書)の第四章 「バカがテレビを語っている」で、10頁にわたって、私の発言についてコメントしていただいています。 … 大変参考になりました。たけし師匠、ありがとうございます。 m ( _ _ ) m」

 こんな建設的なやり取りこそが「バカ」を減らす道なのだろう。

デイリー新潮編集部

2017年11月15日掲載

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