90歳でも「異性にモヤモヤッ」 周囲が明かす瀬戸内寂聴さんの逸話…生命力の秘訣とは

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 破壊的なまでに男性を愛し、いわゆる火宅の道を進みながら、一転、仏門に入り、それでも最期まで若さを失わずに書き続けた人生。今月9日、99歳で逝った作家の瀬戸内寂聴さんは、濃密な体験を言葉に昇華した。最後まで人に救いと希望を与え続けた言葉の数々を。

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 2017年9月、山尾志桜里衆院議員(当時)の不倫騒動に際し、瀬戸内寂聴さんのこんなコメントが朝日新聞に掲載された。

〈不倫も恋の一種である。恋は理性の外のもので、突然、雷を避けることはできない。当たったものが宿命である〉

 この〈雷〉、それに続く〈宿命〉という語には、寂聴さんの実感が強く込められているように思われる。言うなれば、彼女の人生の原点が見出せないだろうか。

 1992年、作家の井上光晴氏の葬儀で読んだ弔辞に、〈私は4歳の娘を捨てた母です〉というくだりがあったが、その言葉には、次のような背景があった。

 42年、東京女子大学在籍中、20歳にして見合いし、結婚したが、夫の命で参院選の応援をした際のこと。

〈やはり夫の命令で運動員にさせられた夫の教え子と、その間に恋に落ちてしまったのだ。もし、あの選挙を手伝わなかったなら、私の人生はもっと平坦で、良妻賢母の道を完(まっと)うし、小説家瀬戸内晴美にもならず、出家して寂聴尼にもならなかっただろうと思う〉

 とは、『かきおき草子』(2005年、新潮社)からの引用だ。1948年のこの経験こそ、寂聴さんの人生を〈宿命〉づけた〈雷〉だと感じていたのだろう。昨年12月にも、朝日新聞に当時のことを記していた。

〈「ママ行かないで!」とも云えない幼い一人娘を夫の所に置き、着のみ着のままで、京都の真冬二月のさなかに家出をしてしまった〉

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