宇宙の勢力図を変える中国の「量子科学衛星」――青木節子(慶應義塾大学大学院法務研究科教授)【佐藤優の頂上対決】

  • ブックマーク

Advertisement

「非軍事利用」という枷

佐藤 昨年、日本でも自衛隊に宇宙作戦隊が創設されましたが、日本の宇宙開発の現状はどのようにご覧になっていますか。

青木 2008年に宇宙基本法が制定され、それが目指すところに着々と進んでいるという感じでしょうか。

佐藤 それまでが大変だったわけですね。

青木 日本の宇宙開発は、長らく「非軍事利用」という枠組みの中にありました。戦後の宇宙開発は主権回復された1952年に始まり、1970年に純国産技術で初の人工衛星「おおすみ」を打ち上げます。ですがその前年、宇宙開発利用を40年に亘って縛ることになる国会決議が全会一致で採択されています。それは、宇宙開発は「平和の目的に限り」行うというものです。

佐藤 原子力と同じですね。

青木 この「平和利用」は「非軍事的利用」という意味合いで、国会の議事録にも明確に記されています。ただ国際的には、平和利用には自衛権の範囲の軍事利用が含まれると理解されています。

佐藤 平和利用=非軍事利用ではないということですね。

青木 このため1980年代になると、平和利用の範囲を巡って議論が巻き起こります。例えば、自衛隊が政府の通信衛星回線を利用していいのかとか、米軍との共同訓練でアメリカの軍事衛星と通信する受信機を予算計上できるかという問題がありました。そこで政府は1985年に、その利用が国民生活に浸透し一般化していれば、軍事利用ではないという見解を打ち出します。

佐藤 生活で普通に衛星回線を使っているのに、自衛隊だから使えないのは明らかにおかしい。

青木 そして1998年に北朝鮮がテポドンを発射、日本の上空を飛んで太平洋に着弾するという事件が起きます。日本の安全保障が直接的に脅かされていることを目の当たりにし、平和利用=非軍事利用という政策が見直される。この時、政府は情報収集衛星4機の保有を決めました。最初の2機は2003年に打ち上げられます。こうした流れの中で2008年、福田(康夫)政権下で、防衛的な宇宙利用を可能にする「宇宙基本法」が制定されます。現在は10機態勢を目指しています。

佐藤 理想主義的な枷をはめてきたものが、ここでようやく現実的かつ国際的な基準となった。

青木 日本の宇宙政策における最大の転換点です。いまはこれまでの遅れを取り戻そうとしているところですが、少しスピードが遅いかもしれません。

佐藤 平和利用に加え、アメリカの意向で何もかも自由に開発できたわけではなかったですからね。

青木 一気に変わるのは難しい。民間にアメリカ型のベンチャーが出てこないという問題もあります。NASAは民間を育てるために、膨大な資金と技術を入れています。日本の仕組みだと、そこまではできません。

未整備である宇宙の法体系

佐藤 先端技術については、そもそも軍事、民用と分けることができないですよね。

青木 特に宇宙は、他の先端技術に比べ、軍・民の区別は難しいです。

佐藤 カーナビの技術もそうですし、人工衛星から地上の様子を見る「リモートセンシング」も極めて軍事的な技術でしょう。

青木 アメリカにしてもロシアにしても軍が巨額の費用を投じて開発したものです。

佐藤 いま人工衛星からは、地上の5~6センチくらいまで見えるのではないですか。

青木 軍事は分解能が10センチ未満と言われているので、そのくらいは見えるでしょう。一方、民間で売り買いできる映像は、大体25センチまでです。

佐藤 私が外務省に入ったのは1985年ですが、その年から地球観測衛星ランドサットの画像を買うようになったんです。いずれ何かの形で利用するかもしれないから予算をつけておこうと、500万円くらい獲得し、衛星写真を何枚か買ったのを覚えています。

青木 いまは防衛省だけでも、次年度は140億円近くになる予定です。

佐藤 衛星画像なら、軍・民の境は映像の解像度だけですし、そもそもロケットとミサイルだって、先端に載せているものの違いでしょう。

青木 国連の軍縮委員会でも、最初の10年ほどは、ロケットとミサイルの区別をつけないで論じていました。ロケットと衛星の区別も曖昧で、アメリカが1950年代に打ち上げた海軍のヴァンガードも、ヴァンガード衛星であり、ヴァンガードロケットなんです。

佐藤 ロシアには人工衛星の呼び方が2通りあります。「スプートニク」は、基本的に平和利用のいい衛星で、「サテリート」と呼ばれるのは、軍事利用の悪い衛星です。さらに「コスモナフト」と言えばいい宇宙飛行士で、「アストロナフト」は、悪事を働く宇宙飛行士です。

青木 では、西側の「アストロノーツ」は悪い人ですね。

佐藤 その通りで、冷戦時代の東西対立が言葉に反映し、それらのニュアンスが生じてしまったのです。

青木 面白いですね。宇宙関係条約の用語では、ロケットも衛星もすべて「宇宙物体」となります。

佐藤 日本政府が「飛翔体」と言っているのとほぼ同じですね。

青木 外国領空からのスパイ行為と違い、人工衛星からの監視は合法ですが、地上のことを定めた条約と抵触することがあります。衛星で得た画像が、仮に軍備管理条約の検証に有益であるからといって、それを使うことが法的に許容されるのかどうかは別問題になります。私はこの点を博士論文で研究しました。例えば、NPT(核兵器不拡散条約)関連では、かつては衛星監視によって核兵器開発の事実を掴んだ場合、第三国が国際機関に画像を証拠として出すことができなかったのです。

佐藤 北朝鮮の核施設が稼働していることがわかっても、その画像が証拠にならないということですか。

青木 はい。私が論文を書いていた当時はそれをIAEA(国際原子力機関)に証拠として出せませんでした。そこで多様な多国間条約の中で、衛星監視の結果を条約遵守の証拠として使うことが技術的に、また法的に可能なものはどれか、そして国際衛星監視機関を作ることは可能なのか、という問題を研究しました。

佐藤 宇宙ならでは、の研究ですね。

青木 その後、IAEAに関しては、イラクや北朝鮮の問題もありましたので、1990年代半ばには衛星画像を証拠として用いることができるようになりましたが、他にも南極条約に同じような制限があります。南極で基地を運営するなど条約の「協議国」という特殊な地位にないと南極での査察ができないため、禁止された軍事活動の証拠として、非協議国が衛星データを協議国会議の場に提出することはできません。

佐藤 ルールということで言えば、そもそもどこから宇宙空間かもよくわからないですよね。

青木 国際法上決まっていないのです。そもそも決めるべきかどうかも含めて、もう60年も国連で議論しています。

佐藤 だいたいのコンセンサスは、どのくらいの高さなのですか。

青木 衛星が落ちてこないで、ずっと軌道を回ることができる高さが有力です。

佐藤 曖昧ですね(笑)。

青木 いま世界の研究者同士で宇宙の軍事利用に適用される国際法マニュアルを作っています。現行国際法から見出せるルールとその解説からなるマニュアルですが、その冒頭、ルール1が領空と宇宙の境目についてで、結局、ルールはないということしか書けませんでした。各国の利害が絡みますから難しいのです。

佐藤 いま世界に宇宙法の研究者はどのくらいいるのですか。

青木 「国際宇宙法学会」会員で500人くらいです。国際法から入る人、民商法から入る人、軍事研究で来る人とさまざまです。政策研究まで広げても民間の専門家は2千~3千人でしょうか。

佐藤 最近は総合職の外交官が国際法に弱くなっているんです。

青木 外交官試験がなくなり、国際法を勉強する必要がなくなったからですか。

佐藤 はい。そのため外務省研修所で国際法のウエイトを増やしていますが、やはり試験突破を目指して勉強するのと、合格してから勉強するのでは、理解の度合いが違います。

青木 それはそうでしょう。

佐藤 外務省の専門職員の試験ではいまも国際法は必修ですが、本日のお話は、ぜひとも外務省でもしていただきたいですね。

青木 これから宇宙は外交の舞台になっていくと思います。宇宙を取り巻く情勢はどんどん変わっています。政府が積極的に関わることも必要ですが、やれることには限界がある。ですから、今後は民間企業の積極的な宇宙活動を支援する体制を作っていくことが大きな課題だと思っています。

青木節子(あおきせつこ) 慶應義塾大学大学院法務研究科教授
1959年東京生まれ。慶應義塾大学法学部卒。85年同大学院法学研究科修士課程修了。カナダのマッギル大学法学部付属航空・宇宙法研究所に留学し90年博士課程修了。93年法学博士。95年防衛大学校助教授、2004年慶應義塾大学総合政策学部教授を経て、16年より現職。12年より内閣府の宇宙政策委員会委員も務める。

週刊新潮 2021年4月15日号掲載

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。