宇宙の勢力図を変える中国の「量子科学衛星」――青木節子(慶應義塾大学大学院法務研究科教授)【佐藤優の頂上対決】

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 2016年、中国は世界で初めて「量子暗号通信技術」を搭載した人工衛星の打ち上げに成功した。これにより盗聴・傍受ができない通信網が可能となり、現在もその実験を積み重ねている。一方、アメリカはいまだに同種の人工衛星を打ち上げられないでいる。宇宙での覇権争いは中国が制すのか。

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佐藤 初めてお目にかかります。宇宙法がご専門である青木先生の『中国が宇宙を支配する日』(新潮新書)をおもしろく拝読いたしました。宇宙開発において、中国はすでに一部の分野でアメリカを凌駕している、という事実にはたいへん驚きました。

青木 あまり知られていないのですが、2016年8月に中国は量子科学衛星「墨子」の打ち上げに成功しました。これは光の粒子の性質を利用した量子暗号通信技術を搭載する人工衛星で、その通信は原理的に盗聴・傍受が不可能とされています。

佐藤 これによって絶対に破れない暗号通信網が作れるわけですね。

青木 はい。いまのところ「墨子」以外に宇宙空間に浮かんで「量子暗号」のやりとりをする衛星は存在しません。そこでアメリカでは、「21世紀のスプートニク・ショック」とも呼ばれる衝撃的な出来事として捉えられています。

佐藤 アメリカと宇宙開発を競い合っていたソ連が、1957年10月に世界で初めて人工衛星「スプートニク」を打ち上げ、アメリカに激震が走りました。これに匹敵する事件が起きたということですね。

青木 それ以上かもしれません。同時に「墨子」打ち上げチームは量子コンピュータの開発にも成功したとされます。これによってものすごい速度で他国の暗号を解読できてしまう。ですから、アメリカの宇宙開発部門のみならず、情報機関も大きなショックを受けています。

佐藤 中国はいつの間にこんなに高度な技術を身につけたのでしょうか。

青木 ここ10年ほどの間です。中国が宇宙開発をすると決めたのは、毛沢東の時代と早いのですが、だいたい20世紀の間は、日本よりも遅れていました。初めて人工衛星を打ち上げたのは1970年4月で、同年2月の日本に続き、世界で5番目でした。

佐藤 東京大学宇宙航空研究所が打ち上げた「おおすみ」ですね。

青木 そうです。その後も大型の静止衛星は日本が1977年で、中国が1984年です。でも21世紀に入る頃からロケット、衛星ともに、実力がかなり伯仲してきました。

佐藤 その先にアメリカや旧ソ連、ロシアがいますね。

青木 もちろん中国が目を向けていたのはそちらで、2000年に初めて「宇宙白書」を出します。そこでは2010年代の中頃か、遅くとも後半に有人飛行ができればいいということを書いていた。それがいきなり2003年に有人飛行を成功させたのです。

佐藤 当時は、本当なのかと疑問視する声もありました。

青木 日本もショックを受けたのですが、独自技術で成功させたわけではないとされたので、アメリカも含め、まだ脅威とは捉えませんでした。

佐藤 当時はもう国際宇宙ステーションもできて、ロシアのロケットで行き来をしていましたからね。

青木 ところが、その頃から中国のロケット打ち上げの回数や衛星の種類、数が増えていき、2012年には、上半期だけですが、初めてロケットの打ち上げ回数でアメリカを上回ります。ロシアはもう、2013~14年くらいから、ロケット打ち上げ回数も衛星の種類、質などでも中国に勝てなくなりました。そして最近3年のロケット打ち上げ回数を見ると、中国が一番多いのです。

佐藤 中国は、月の裏側にも行っていますよね。

青木 2019年1月に世界で初めて月の裏側に探査機を着陸させました。これもアメリカの専門家たちを驚かせたと思います。

佐藤 どうして裏側なのでしょうか。

青木 他国に知られずに活動ができるから、と言われていますね。

佐藤 やはり資源ですか。

青木 氷が堆積している場所を探し、水素と酸素を得て燃料を確保して、月にアウトポスト(居留地)を作る目的があるとされています。そこを足場にして、ゆくゆくは火星に行ったり、月と地球との間にできる経済圏を支配することを考えているのだと思います。

佐藤 月の地下に巨大な空洞があるとされていますから、そこには地下住居が作れるかもしれませんね。

青木 一定期間、人間が住むことも含めて、月が人間の活動の場になっていくのは間違いないと思います。

暗号網は数年で完成

佐藤 中国からは宇宙開発を推進しようという強い意志を感じますね。それは習近平体制になってから顕著になったのでしょうか。

青木 一貫して「宇宙強国になるのだ」という姿勢で臨んでいますね。中国は5カ年計画を立て、それをきちんとやり遂げてきましたが、やはり2013年に習近平が国家主席になった頃から勢いがついた気はします。中国の飛行機に乗ると、ペットボトルに宇宙飛行士のシールが貼られた水が出てきたり、飛行中のテレビ放送でも宇宙飛行士が度々登場するようになりました。「宇宙文化」を国民に浸透させ、宇宙を国民統合、国民の力を凝集するツールとして利用すると、第11次5カ年計画で定めています。

佐藤 量子科学衛星に取り組んでいることは、前々から発表していたのですか。

青木 2011年の宇宙白書には記載されていました。ただ中国版GPSである測位・航法衛星「北斗」を何機打ち上げるとか、大型ロケットを作るとか、あるいは射場を新しく作るといったさまざまな項目がある中の一つでしたので、さほど注目はされていませんでした。

佐藤 量子暗号通信の実用化には、さほど時間がかからないでしょう。

青木 数年後には有効なものとして使われていると思います。量子暗号を使ってこの衛星「墨子」と地上とでやりとりする通信実験は、オーストリア、イタリアの科学者がそれぞれの国からアクセスし、成功させています。衛星を通じた地上の2点間の秘匿通信は、2016年には144キロでしたが、今年に入って4600キロまでその距離を伸ばしています。

佐藤 すでに中国国内だけでなく、国際ネットワークができつつある。欧州諸国が協力しているのですね。

青木 量子科学衛星は、表向き科学研究です。アメリカは協力しませんが、欧州は違います。イタリアは「一帯一路」にも国として入っていますし、中国とかなり深い関係があると思います。

佐藤 これに対し、アメリカはどう出てくるのでしょう。

青木 4年経っても同種の衛星は打ち上げていません。これに追随する形はとらず別の方法を模索しているのかもしれません。ただこのままではないだろうと思います。

佐藤 衛星ですから、有事になれば落としてしまえばいい、と考えているかもしれませんね。そうなると宇宙空間での攻防戦になります。

青木 中国はすでに2007年にASAT(対衛星攻撃兵器)の実験を行っています。この時には、自国の老朽化した気象衛星を破壊しました。

佐藤 大量の宇宙ゴミを発生させたわけですね。

青木 1986年以降、米ソはASAT実験を行ってこなかったので、大きな問題になりました。この実験で宇宙空間に約3300のスペースデブリ(宇宙ゴミ)をまき散らしたとされています。1世紀は滞留するようです。

佐藤 ロシアでは2016年に「サリュート7」という国策映画が製作されました。宇宙ステーション「サリュート7」が制御不能になり宇宙飛行士を送り込んで修理するという話ですが、原因は何かといったら、太陽電池のカバーに宇宙ゴミがぶつかって発電できなくなったんですね。ゴルバチョフ時代の実話をもとにしたものです。

青木 国際宇宙ステーション(ISS)でも、年に1、2度はデブリによって危機に晒されることがあります。その時、宇宙飛行士は避難します。すでに宇宙ステーションの外壁で、衝突に備えて強化した部分が、デブリとぶつかって陥没しています。

佐藤 すでにレーガン政権時代に、スター・ウォーズ計画と呼ばれた戦略防衛構想があったわけですから、衛星破壊は簡単なのでしょうね。

青木 軌道が決まっていますので、それ自体は簡単だと言われています。むしろ衛星に近づいて、ぶつからないようにしながら、その性能を探知・分析することのほうが難しい。ストーカー衛星などと言われますが、中国もロシアもアメリカの衛星を追尾しています。また、衛星の修理・燃料補給ビジネスが実現しつつありますが、その技術はASAT兵器として使えます。

佐藤 2019年にトランプ前大統領が宇宙軍を発足させましたが、それは危機感の表れですね。

青木 アメリカと中国の力が拮抗してくると、むしろ宇宙は平和になるという見方もあります。

佐藤 東西冷戦と同じ構図ですね。兵力が同じなら、抑止の力が働く。ただ中国がこのまま技術的に突出すると、不安定要素が増します。

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