「座頭市」はいかにして勝新太郎の“代表曲”となったか 作曲家に出した注文とは

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勝新と大映の新しいディケイド

「座頭市」が出た67年は、作品でいうと「座頭市鉄火旅」で始まる年。樽の中に隠れた市が敵によって樽ごと転がされてしまう、という名シーンがあった。そのとき市は樽を内側から斬って難を逃れて一言。「馬鹿野郎! 俺にはまわる目がねえんだ!」

 居合いでうどん屋台を真っ二つにしてしまうというサービスまであった。これがその年の正月映画だった。さらに2月に「兵隊やくざ 俺にまかせろ」、4月「にせ刑事」、6月「悪名一代」と主演して、8月には勝プロダクションの第1作「座頭市牢破り」(勝新の旧友三國連太郎との共演作。三國の最初の奥さんは勝新の幼なじみの踊りの名取り)が封切られ、勝新も大映も新しいディケイドに入っていった。シングル「座頭市」はこの映画の公開に合わせてのリリースだった。記録によると67年だけでこのシングルは6万8千枚あまりを売り上げたという。

 67年はさらに9月に「兵隊やくざ殴り込み」、11月に“プチ新シリーズ”の「やくざ坊主」、12月には近衛十四郎と見事な立ち廻りを見せた「座頭市血煙り街道」が公開された。「鉄火旅」には水前寺清子、「血煙り街道」には中尾ミエ、と歌のゲスト出演が加わってバラエティは増えているが、市の切先に狂いはない。それも市の名が広まったことの表れととることはできる。むしろ「牢破り」の山本薩夫演出のほうが息苦しい。農民を救うのはいいが、市にイデオロギーの違いから説教をぶつ浪人、というのは今見ても疎ましい。勝新の生き方に正論(のように聞こえる御託)を並べて批判していた世間が透けて見える。

 そんなことで不幸が清算されるのか? とついいいたくなるが、いずれにしても市の歩みは追分節である。

 勝新ひとりに年に8本の主演を担わせるとは、大映も呼吸があやしくなっている。そういう負担はやがて身体と精神に負の力を増していく。それでも勝新の馬力は、この時点ではまだまだ見た目は余力十分ではあった。歌手としては、さらにジャズのスタンダードや歌謡曲のカヴァー、オリジナルのラヴ・ソングまで幅広く芸達者ぶりを見せていく。低音の大人の歌手として安定していった。

(つづく)

注1:麻里エチコ
歌手。主なシングルに「キッスしてっ」「くたばれ野郎ども」「真夜中の遊園地」他がある

注2:速水ユリ
歌手。主なシングル曲に「泣きべそマリア」他がある

注3:トリオ・ザ・パンチ
3人組のお笑いトリオ。 1963年に内藤陳、井波健、栗実で結成

注4:川内康範(1920~2008)
作詞家、脚本家、政治評論家、作家。「誰よりも君を愛す」「君こそわが命」「骨まで愛して」「恍惚のブルース」「花と蝶」「伊勢佐木町ブルース」「おふくろさん」他の曲に詩を提供。主な原作・脚本作品に「月光仮面」(1958)「南国土佐を後にして」(1959)「銀座旋風児」(1959)「東京流れ者」(1966年)などがある

注5:曽根幸明(1933~2017)
作曲家、アレンジャー。作曲を担当した主なシングル曲に「座頭市子守唄」「いつかどこかで」「流氷子守歌」「銀座の女」「夢は夜ひらく」他がある

湯浅学(ゆあさまなぶ)
1957年神奈川県横浜生まれ。音楽評論家。「幻の名盤解放同盟」常務。バンド「湯浅湾」リーダー。著書に『音楽が降りてくる』『ボブ・ディラン――ロックの精霊』『大音海』『音山』『嗚呼、名盤』、監修に「スウィート・スウィートバック」など。

編集協力:平嶋洋一(キネマ旬報)/週刊新潮WEB取材班編集

2020年3月11日掲載

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