薬物過剰摂取にカヌーで行方不明… 「ケネディ家の呪い」は今も続いているのか 今度はロバート・ケネディ氏の孫娘が42歳で逝去
王朝に例えられるケネディ家
そもそもなぜ、「呪い」が広く話題になるほど、ケネディ家はアメリカで注目を集めるようになったのか。アイルランド系という格下に見られた後発の移民から大統領を出すまでに昇り詰めたのが、最大の要因だ。王室のないアメリカでケネディ家は王朝に例えられた。それだけの栄光と悲劇が国民の心をとらえていたのだ。美談だけではないからこそ、「呪い」という言葉がケネディ家に自然につながっていく。
ケネディ家は1849年、アメリカに渡ったアイルランド系移民に源を発する。その孫にあたるジョセフ・パトリック・ケネディは、銀行家、相場師として財を成し、繁栄の礎を築いた。また駐英大使も務めた。ボストン市長の娘と結婚し、4男5女を授かる。いつも最高のものを狙え。いったん2位に甘んじようとすれば、一生2位で終わる、1位でなければ意味がないという教育方針を掲げ、子供を大統領にするという野望の持ち主だった。
9人きょうだいのゆくえは
この9人の子供達のうち、平穏な生涯を送った人は少ない。長男は第二次世界大戦中の1944年に操縦していた飛行機が爆発し29歳で死亡。その4年後、次女も飛行機事故で他界。晴れて大統領になった次男JFKは1963年に46歳で凶弾に散り、三男のロバートも大統領予備選中の1968年に42歳で暗殺された。
軽度の知的障害があった長女は脳の前頭葉を切除するロボトミー手術を20代で受け、かえって悪化してしまう。幼児程度の知能になり、2005年に86歳で亡くなる。彼女の死は9人きょうだいのうち5番目だったが、暗殺や事故死ではない自然死は彼女が最初だった
四女のパトリシア(2006年に82歳で他界)も複雑な生涯だった。父からは子供達の中で一番事業の才能があると期待されていたが、彼女は兄JFKを支えることとハリウッドに興味があった。俳優のピーター・ローフォードと結婚。夫妻はケネディ家、特にJFKとハリウッドを結びつける役割を果たした。そうした中で関係を持ったのがマリリン・モンローだとされる。JFKの暗殺により、パトリシアの夫婦関係も破綻。離婚後、ケネディ図書館で働いていたが、過度の飲酒に苦しんでいた。
四男で末っ子のエドワード(2009年に77歳で他界)は、上院議員で1980年には大統領選挙の予備選で敗北している。1969年に交通事故を起こし、同乗女性を放置して死亡させた過去が問われた。不倫と飲酒運転の発覚を恐れていたためだった。
比較的に穏やかな生涯を送ったのは、三女と五女ぐらいだろうか。
三女のユーニス(2009年に88歳で他界)は、知的障害者によるスポーツ競技大会、スペシャルオリンピックスを創設。彼女の娘は俳優のアーノルド・シュワルツェネッガーと1986年に結婚し、ケネディ家とあのシュワルツェネッガーが一族に、と大きな話題になったが、長い別居を経て2021年に離婚している。
五女のジーン(2020年に92歳で他界)は、一番地味で権力から距離を置いていると言われてきた。夫は金融に詳しくケネディ家の資産管理の一翼を担っていた。ジーン自身は障害者の芸術活動を支援する仕事を地道に続けてきた。クリントン政権下の1993年、外交官の経験が全くないのに駐アイルランド大使に任命された。英国の北アイルランドでは少数派のカトリック系住民が多数派のプロテスタント系住民と武装闘争を展開、長年混乱が続いていた時期だ。
ジーンは、外交官としては素人でもケネディ家の名と信頼を背負っていた。アイルランド移民でカトリックのケネディ家が紛争解決に乗り出したと受け取られ、事態は動き出した。大使就任の翌年の1994年、武装闘争は停戦に。歴史的な成果にも、ジーンは上院議員である末弟(四男)の支えがあってこそと謙遜した。
ケネディ家からは、JFKの長女、キャロライン・ケネディが2013年から2017年にかけて駐日大使を務めた。大統領暗殺からちょうど半世紀後にあたり、話題に。日本ではキャロライン・ケネディ大使のファッションまでもが大きな注目を集めた。一方、アメリカではほとんど評価されておらず、ジーンがアイルランド大使として残した功績に遠く及ばないと見られている。
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