「学生に深夜の実験をさせなかった」 硤合憲三氏の若手スタッフへの思いやりと、非凡さ 「30年以上一つのテーマに取り組む人は、なかなかいない」
「深夜の実験や大学に泊まるのはいけません」
そんな“真っ直ぐ”な性格は、大人になっても変わらなかったそうだ。東京大学理学部化学科を卒業後、同大学院の博士課程を修了。米ノースカロライナ大学での博士研究員を経て、81年に東京理科大学の講師となる。そして着任早々、自身の研究グループを率いた。
前出の柴田氏によれば、
「発足当初は、数人の学生とスタートした小さな研究室だったといいます。もっとも、その後も学生を中心に研究を進める体制は変わりませんでした。かつて旧帝国大学の研究室では当たり前であった、教授の下に助教授や講師、助手など大勢のスタッフが所属する“講座制”とは一線を画していたのです。こうした環境からノーベル賞受賞者が誕生した例は、日本では他になかったのではないでしょうか」
そこには、若手スタッフを大切にする温かな心遣いがあったという。
「30年前は、学生や若手研究者が深夜まで研究に取り組むのは当たり前という時代でした。しかし、硤合先生は、そうしたことを認めなかった。『深夜の実験や大学に泊まるのはいけません』と言い、徹底させていました。研究室のメンバーは、遅くても東京理科大の門が閉まる午後10時半には、大学を出ていたのです。心身の健康があって初めて、安全で質の高い実験ができるという考えをお持ちでした」(同)
30年以上にわたって一つの研究テーマに
独自の研究スタイルを貫いてきた硤合氏。シンポジウムなどで交流を重ねてきた、名古屋大学大学院工学研究科有機・高分子化学専攻教授の石原一彰氏はこう語る。
「硤合先生は、普通の科学者ではありません。30年以上にわたって一つの研究テーマに取り組み、それを磨き上げてきた方は、なかなかいない。そこが非凡なところです」
石原氏は当初、その真価に気付いていなかったというが、
「私も次第にスゴさが分かるようになりました。地球が誕生したばかりの頃、分子には左右の偏りなどなかったはずですが、どこかの段階で不均衡が生じた。これは、今日に至るまで解明されていない謎です。硤合先生は、こうした一生をかけても答えにたどり着けるか分からないテーマに臨んでいるので、研究がやめられないのではないでしょうか」(同)
硤合氏本人はノーベル賞の受賞が決まった10月7日夜、記者会見で研究者としての歩みをこう振り返っている。
「目標になる山があるかも分からない。暗い場所でヘッドライトをつけて、たどっている気分です」
一心不乱にトンボを眺めていた少年は、いまも未知の世界を探り続けているのだろう。
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