「学生に深夜の実験をさせなかった」 硤合憲三氏の若手スタッフへの思いやりと、非凡さ 「30年以上一つのテーマに取り組む人は、なかなかいない」
「見て。僕、載ったよ」
もっとも、そんな硤合氏が唯一、研究以外の私生活に関する話題を口にしたことがあったという。
「私がまだ硤合研究室に所属していた90年代後半のことです。おそらく、珍しい名字を取り上げる『珍名辞典』という本だったと思うのですが、そこに“硤合”が掲載されているのを初めて目にしたそうです。先生は『柴田くん、見て。僕、載ったよ』と、うれしそうにそのページを開いてくれました」(柴田氏)
日本広しといえども、硤合姓の人物に出会ったことのない人が大半だろう。硤合氏自身は、そんな希少性に特別な思いを抱いていたようだ。
「先生は辞典に載ったことが、誇りだったのだと思います。全国でも硤合姓はご家族やご親族しかいないとお聞きした覚えがあります。たしかに、昔はワープロで“硤”の字が出てきませんでした。今はパソコンで入力できますが、これもひとえに、硤合先生が有名になったおかげかもしれません」(同)
理路整然と「やめなさい」
硤合氏は広島県安芸郡出身。幼少期を地元で過ごし、名家の子女が集うことで知られる広島大学附属小学校に入学。同附属高校まで内部進学した。
子どもの頃には、すでに科学者の片鱗を見せていたそうで、小学校から高校まで同窓だった大森博美氏はこう証言する。
「虫を採りにいったときのことでした。僕らがワーッと走り回っている横で、硤合は『なぜ、コイツはここに止まっているんじゃろ』なんて言いながら、ジーッとトンボを眺めていました。今から思えば、観察をしていたのでしょう。われわれとは視点が違うんです」
ただし、いわゆる“ガリ勉”ではなく、正義感の強い少年だったという。
「曲がったことが大嫌いでした。ガキ大将が弱い子をいじめていたときには、庇っていましたから。決して体を張ってケンカするのではなく、理路整然と『やめなさい』と諭す感じだった。いじめっ子を止めていた姿が、おぼろげに記憶に残っています」(同)
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