「不登校になっても勉強はさせたい」親の思いが子供をさらに追いつめる フリースクール選びを間違えると「心を病む」深刻な実態
方針で集まる子に違い
フリースクールは、1980年代から1990年代にかけて、いじめや体罰の問題を抱えていた学校からの解放を目指して広まっていったものだ。
そこから各時代の新しい課題と共に、「発達障害の子の居場所」「受験ブームからこぼれ落ちた子の居場所」「ゲーム依存の子たちの居場所」「外国にルーツを持つ子どもたちの居場所」として増えていった経緯がある。
近年は、企業の参入も少なくない。少子化が進む中で、塾のような産業は先細りの危機に立たされている。そこで行政が補助金を出したり、親が高額な月謝を出したりすることに目を付け、塾が教室の空いている日中にフリースクールを運営することもある。
このため、フリースクールはそのバックグラウンドによって方針や集まる子供が分かれる。
たとえば、発達障害の子の居場所として作られたフリースクールには障害のある子が多数を占めるし、海外ルーツの子の居場所として作られたフリースクールにはそうした背景の子が多数を占める傾向にある。中で行われることも、それに準じたものになる。
むろん、全方位的に行っているフリースクールもある。ただ、特色の強いところであればあるほど、事前にきちんとそれを理解し、子供にとってそれが適切かどうかを見極めた上で入れなければ、子供にとって期待外れどころか、辛い体験にしかならないということが起こるのだ。
一日中ゲームが「主体性の尊重」?
では、実際にどういうトラブルが起きているのか。
マンガ『教育虐待』の取材に応じた学校の教員は話す。
「あるフリースクールは『子供の主体性の尊重』を掲げていました。彼らのモットーは、学校の管理教育から解放し、自分で考え、行動する子供を育てることだそうです。
けど、実際は典型的な放任主義で、スタッフは何もせずにすべて子ども任せにしているだけでした。大半の子たちは誰とも交わらず、ただ一日中ゲームをして帰って行く。それが主体性の尊重だそうです。
もちろん、そういう環境が合っている子もいるでしょう。しかし、どこかで早く学校へ行きたい、勉強をしたいと思っている子がそこにいつづければ、いつしかこの環境に慣れて、学校へ行ったり、勉強したりする意志が消えてしまうこともある。こういう子は〈フリースクールの子〉になってしまいます」
大抵のフリースクールでは、ゲームや動画視聴を認めていても、それを回復のステップにしている。フリースクール側からすれば、いきなり取り上げるのではなく、それをやらせながら少しずつ違う方向へ意識を向けさせていくということだ。
だが、残念ながら「学びの多様性」「主体性の尊重」などと耳当たりの良い言葉を使うだけで、実質的には何もしていないところもあるということだろう。
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