海底にモンペをはいた女性が 「霊的なことを馬鹿にしてはいけない」と石原慎太郎が語り遺した「スピリチュアル」なエピソード

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「科学が風評に負けるのは国家の恥」――かつて、築地市場の移転先、豊洲の土壌汚染が問題視されていた時に、石原慎太郎元都知事が放った言葉である。汚染問題をことさら大きくしようとしていた小池百合子都知事やそれに追従する世論に対して、石原氏は「科学的データをもとに議論せよ」と強くいましめたのだ。

 このエピソードだけ見ると、石原氏は近代科学の信奉者のように思われるかもしれない。しかし実際には、霊的なことも含めて「科学でははかりしれないこと」への理解は深く、関心も極めて高かった。遺された作品にも、スピリチュアルな題材のものは少なくない。

 石原氏が語り遺した話をもとにした『昭和の風雲児』には、自身が見聞きした「不思議な話」が収録されている。「都市伝説」系の番組でも扱われそうなエピソードに耳を傾けてみよう(以下、同書から抜粋・引用)。

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海底に立つモンペの女性

 私の四男の友人で、逗子の自宅に出入りしていた栗林君という青年がいた。芸術家志望の彼はダイビングが得意で、食えない時代にはサイパンのダイビングショップでアシスタントのアルバイトをやっていた。彼に聞いた話である。

 仕事を始めるにあたって、店の主人は彼にこうアドバイスしたという。

「お客を連れて、潜ってる時に、絶対しちゃいけないことが二つある。これだけは守れ。まず、バンザイクリフの下で潜っている時には振り向くな。なぜかわからないが、後ろを振り向きたくなることがある。でも、絶対に振り向いちゃだめだ。特にお客を連れている時は振り向いてはいけない。もう一つ、中で物を拾ってきてはいけない」

 実際に、ある時、お客を連れて潜ると、なぜか無性に後ろを振り向きたくなった。その誘惑に抗しきれなくなった彼は、お客を先に上がらせ、自分一人で振り向いてみた。

 すると、そこにはモンペをはいた女性が立っていたという。水深二十七メートルの海底に、である。

 こんな話も聞いた。栗林君が、海底からきれいな小石を拾って持って帰ってしまったことがあった。彼は店に住み込みで働いていたのだが、夜中に金縛りにあい、トイレにも行けなくなってしまった。次の日、店の主人が部屋に入ってきた。

「お前、何しているんだ」

「すみません。夕べから体が動きません」

「お前、何か拾ってきたんじゃないか」

「はい……」

 すぐに二人で海に潜り、石をもとのあたりに置いていったところ、事なきを得たと言う。

アウシュビッツの石

 同じような話は他にもある。

 都知事時代に、オリンピック招致の関連でドイツの陸上大会に視察にいったことがあった。この時、都の職員ら同行者とついでにアウシュビッツの強制収容所の見学に行くことになった。

 私はサイパンの話を聞いていたこともあり、職員たちに、

「絶対ここでものを拾っちゃだめだぞ。花でも葉っぱでも、絶対ここのもの持って帰るなよ」

 と言いきかせたものである。その時同行していた日本人ガイドに、

「ここで何かものを拾った人はいませんか」

 と聞いてみると、

「いるんですよ。ガス室で、小石を拾って持って帰った人が」

 何でもその観光客からはガイド宛てに一か月後に手紙が来て、そこにはその小石が入っており、「あの後、とにかくとても怖いこと、嫌なことが続いている、頼むからこれをもとの場所に戻してほしい」とあったという。

 怨念というものはそういう形であらわれることがあるのだ。

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 こういう話をまったく信じないという方もいるだろうが、同書で石原氏は次のように語っている。

「霊的なこと、神秘的な話ははなから信用しないという人も多いようだが、決して馬鹿にできないもの、してはいけないものだと私は思っている」

 生前の作品『巷の神々』は、新興宗教をテーマにしたルポルタージュ・宗教論だが、こうした石原氏の思想が背景にあり、「見えぬもの」や「霊」についてかなりのページ数が割かれている。

 石原氏の思想に新たな光を当てた考察は、新潮QUE掲載の記事「石原慎太郎に見る『真のエゴイズム』の価値」で読むことができる。

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