「批評の神様」に「人をいじめて何になるんですか」 石原慎太郎が憤った一言とは
石原慎太郎氏といえば、思い切った発言が波紋を呼ぶことが少なくなかった。ある人はそれに「暴言だ」と憤り、またある人は「よくぞ言った」と喝采を送る。そんなエピソードには事欠かない。
速報高市首相が抜擢の「新・農水大臣」に“圧力疑惑” 選挙で支援しなかった自治体補助金「大幅カット」の肉声を入手
石原氏の自由な物言いは、大臣になってから、あるいは都知事になってから始まったものではない。まだ文壇の新参者だった頃から、目上の人に対しても思ったことを口にしていたようだ。
石原氏の残しておきたかった思い出を集めた『昭和の風雲児』には、「批評の神様」小林秀雄氏に食ってかかったエピソードが綴られている。きっかけは作家、水上勉氏への小林氏の厳しい態度だった。これが若き石原慎太郎氏には耐えられなかった。それゆえ30歳も年上の小林氏に「もうやめなさいよ」と食ってかかったのである。
SNSでの寒々しい批判の応酬ではない、リアルな人間同士の「けんか」はどこか微笑ましくもあるのではないか(以下、『昭和の風雲児』より抜粋して引用)
***
もうやめなさいよ
ある文士劇の打ち上げの席で、水上勉さんを小林さんが呼びつけた。水上さんは飛んで行った。水上さんの文学に最初にお墨付きを与えたのが小林さんだったのだ。
ところが正座してかしこまっている水上さんを小林さんはいじめぬいた。最近の作品を批判するのはまだしも、それについて「うちの女房もひでえといっていたぞ」などと言うのは、いささか卑怯に思えた。
その気まずい雰囲気に周囲も席を立って行き、気づけばその場には二人のほかに、永井さん、今さん、横山さん(注・いずれも作家、文化人)といった小林さんの取り巻きのような人たちと私だけになってしまった。そして浴びせられる言葉の激しさに、とうとう水上さんは涙を流して泣き始めた。周囲の人たちも止めるわけでもなくただ困ったような顔をしていた。
そこで私は酒の勢いもあり、立ち上がって小林さんの前にすわり、
「もうやめなさいよ、小林さん」
と言った。
「なんだお前は」
「あなたも批評の神様か何か知りませんが、こんな席で人をいじめて何になるんですか。奥さんが、っていうけど、自分が、って言えばいいじゃないですか。いくら神様だってあなたが知らなくて私が知っていることもたくさんあるんだからね」
酔いも手伝ってそう言うと、小林さんが、
「お前の知っていて俺の知らないことというのは何だ」
と言うので、
「たとえば空の星を見て、自分がどこにいるかなんてわからないでしょう」
すると、
「ああなるほど、そいつは知らねえな」
うなずいて、立ち上がり、周りも連れて去って行った。私のほうはといえば、あとになって言い過ぎたかと思い後悔していたのだが、翌日、東京に出るために電車に乗ると横山さんと顔を合わせた。そこで、彼に、
「小林さん、怒っていたでしょう」
と聞くと、
「いやいや怒っていないよ。あいつは面白いやつだなっていっていたぞ」
そう言われ、ほっとしたものである。
そういう風に後腐れがなかったのは、小林さんの精神の自由さのあらわれなのだろうと思う。
***
石原氏は同書で次のように語っている。
「今はかつてのように自由にものを言い合う場がなくなった。もっぱらネットでのやり取りが増えたとも聞くが、私はそんなものを面白いとは思わない。やはり言葉というものは、文字だけではなく言語で、声で交わすこともなくては生きたものにならないのではないか」
“石原節”を懐かしく思う人、新鮮に感じる人も多いのだろう。今でもネット上では会見などでの石原氏の発言を紹介するキリトリ動画が多く見られている。
石原慎太郎氏がやくざに脅されて呼びつけられた「事件」の全貌については、関連記事(「半殺しで東京湾に浮かべてたぞ」 やくざの理不尽な脅しに石原慎太郎が取った行動は)に詳しい。
また、石原慎太郎氏の思想に新たな光を当てた考察は、新潮QUE掲載の記事「石原慎太郎に見る『真のエゴイズム』の価値」で読むことができる。
交渉が終わった後に、弟がいかにもこちらが奢るような風に「おいくら」とバーテンに聞いたものだった。荒牧さんが慌てて、「いやいや、ここはうちが払います」と言って遮(さえぎ)ったので、結局四十万円せしめ、飲み代も払わせて済んだ。この頃から、裕次郎とのタッグマッチが始まったと言えそうだ。
***
映画は1956年に公開され、ヒットを記録する。裕次郎さんにとってはこれが芸能界デビューともなった。
石原慎太郎さんの思想に新たな光を当てた考察は、新潮QUE掲載の記事「石原慎太郎に見る『真のエゴイズム』の価値」で読むことができる。










