「半殺しで東京湾に浮かべてたぞ」 やくざの理不尽な脅しに石原慎太郎が取った行動は

国内 社会

  • ブックマーク

 いわゆる暴対法が施行されたのは1992年。以降、企業はもちろん一般人もやくざと接点を持つこと自体が大きなリスクとなってから久しい。

 しかし昭和のある時期まで、やくざはあらゆる場面にいた。2022年に他界した石原慎太郎氏の『昭和の風雲児』では、さすがの石原氏も冷や汗をかいたやくざにまつわるエピソードが語られている。
 
 きっかけは石原氏が原作、脚色、監督をつとめた『若い獣』という映画(1958年)だった。当時、石原氏が強い関心を持っていたボクシングを題材にした青春映画である。問題はそこで、ボクシング興行の暗部に触れていたことだ。これがその世界では一種のタブーで、やくざの逆鱗に触れてしまったのだ。
 
 当時、石原氏はまだ25歳。人気作家であり、多方面で活躍する一種のスターでもあった。やくざに脅された石原氏は、どうやって切り抜けたのか。生々しい思い出話に耳を傾けてみよう(以下、『昭和の風雲児』より)。

 ***

石原はただじゃおかない、許せねえ

 ボクシング界全体が私を敵視したわけではない。帝拳ジムの本田明会長は、私にヤキを入れようとしている連中に対して、「そんなことは絶対にするな」といい渡してくれたそうだ。
 
 しかし、「石原がしかるべき詫びを入れない限りは、ただじゃおかない、許せねえ」と言っているジムの会長もいた。そのHという会長は、もとは銀座警察とも呼ばれる自警団の幹部だった。敗戦後間もなくあちこちで乱暴狼藉を働いていた朝鮮・台湾系の外国人から町を守るために、戦争から帰ってきたばかりの日本人の若者たちが一種の自警団を作っており、銀座警察もその一つだった。

 Hは東宝に脅しをかけてきた。幸い東宝には、興業に関わりの多い後楽園の経営者である田辺宗英さんの親族の雨宮さんがいた。雨宮さんの奔走のおかげで、何とか話がつき、丸の内の東京會舘でHと東宝、私の手打ち式が行われることになった。

 その前日、Hのジムの幹部で以前からの顔見知りだったKという男から電話がかかってきた。顔の左側にはこめかみから顎にかけて絵に描いたような刀傷があるやくざだったが、大変な二枚目で普段は当たりの柔らかい男だった。そのKが言うには、

「あんたはうちの兄貴を俺ほどよくは知らないよな。だからいっとくが、明日の手打ち式じゃ兄貴が何をいっても絶対に逆らっちゃ駄目だよ。ちょっと厄介な人で、あんたにとってわけのわからないことをいうかもしれないけど、とにかく謝ってくれ。そうしないと何もかもご破算になっちまう。兄貴は悪い奴じゃないけど、時々そういうことに全く理屈の通らないこともあってな、それに逆らうと厄介なことになるんだよ。

 もう話の筋はついているんだから、あんたもそこは一つ我慢してさ。頼むよ、お互いにこれからも気分よく試合場で会ってうまい酒を飲もうじゃないか」

やくざの無茶苦茶な言いがかり

 わかったと答えて、私は翌日東京會舘に出向いた。仲介役の田辺さん、雨宮さんのほか、東宝側は映画製作の最高責任者の森専務と藤本常務と私。相手はHとKと、もう一人、物凄く体格のいいプロレスラーのような用心棒がついていた。席につくなり、Hは、

「おい、石原、お前な、この世の中には仁義ってもんがあるだろう。とんでもない映画作りやがって。俺たちの顔に泥塗って、どうしてくれんだ。いったい俺がいつ選手のギャラをピンハネしたっていうんだ。いつ選手の女を盗った」

 もちろん私はHをモデルにして脚本を書いたわけではない。あくまでも架空の話として書いた。そこで森専務が、

「あれは映画という物語のつくりものですから」

 と説明をしたが、

「てめえ、何いってるんだ。物語じゃないだろう。あの映画じゃジムの会長が選手の女を盗る。じゃあ、いったい、いつ、この俺がそんなことをしたんだよ」

 話がまったく通じない。森専務があっけにとられているのがわかった。私もあまりの無茶ないい分に驚いていたが、その時、Kが私を見ているのに気付いた。何かを促すような視線を向けている。私は昨夜の電話を思い出した。

 Hと森専務が、

「この俺がいつ、選手の女を盗ったんだ」

「いやですから、それは」

 といった押し問答を繰り返している中、私は声を発した。

「いや、とにかく申し訳ありません。いろいろ誤解を招くようなことになって、誠に申し訳ありませんでした」

 私は膝に両手をつけて頭を下げた。するとHは、

「そうだ、最初からそういやいいんだ。いいか、東宝だからこれですんだが、これが日活や大映だったら、誰かさらって半殺しで東京湾に浮かべてたぞ。とにかくこれで済ませてやるが、今後気を付けろよ。じゃないと、お前、拳闘場に来てただで帰れねえぞ。五体満足ではいられねえぞ」

 これに私が、

「わかりました。気を付けます。本当にすみませんでした。私もボクシングが好きなので、これからもひとつよろしくお願いします」

 と言うと、

「おう、素直にそういやあいいんだ。この野郎みたいに余計なことをいうな」

 と森専務を指して言い、それで話は一段落した。頃合いを見計らって雨宮さんが、

「お互いに心が通じたようですから、このへんでとにかくおさめましょう」

 と乾杯を促した。当時の東京會舘は、冷房がまだ完備しておらず、室内はかなり暑かった。ビールを飲み始めると、みな汗が出てきたので、上着を脱いだが、例のプロレスラー風の用心棒だけは脱ごうとしない。そこでHが、

「おい、お前も脱げ」

 と促したが、

「いえ、私は……」

 とかたくなに脱ごうとしない。それでHが怒鳴りつけた。

「お前、なに気取ってやがんだ。旦那衆が脱いでんだ。てめえ一人が上着着てるんじゃねえ。脱げ、この野郎」

 それで用心棒がしぶしぶ上着を脱いだら、腕の手首近くまで見事に刺青が入っていて、私は目をむきながらも、なるほどなと納得したものである。

 それ自体がまるで映画のシーンのようだった。

 ***

 石原慎太郎さんの思想に新たな光を当てた考察は、新潮QUE掲載の記事「石原慎太郎に見る『真のエゴイズム』の価値」で読むことができる。

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。