「つけこまれないように」 石原慎太郎と裕次郎兄弟がホテルでタッグを組んだ日

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

 現在、テレビで「石原兄弟」と言えば、長男で元政治家の石原伸晃氏やタレントの石原良純氏ら「石原四兄弟」を指すことが多いが、昭和世代にとっては石原慎太郎さん(作家・政治家)と裕次郎さん(俳優・歌手)こそが石原兄弟だろう。

 4年前、89歳で亡くなった慎太郎さんが生前、語り残したロングインタビューをもとに作られた『昭和の風雲児』では、弟、裕次郎さんとタッグを組んで大金を得たエピソードが語られている。時は1950年代半ば。慎太郎さんの小説『太陽の季節』が評判になった頃の話である。

 慎太郎さんの愉快そうな口ぶりが伝わって来るその部分を引用してみよう。

 ***

『太陽の季節』の映画化権を買ってくれたのは日活だった。私に目を付けて声をかけてくれた荒牧さんという人と交渉することになった。この段階ではまだ芥川賞もとっておらず、作品も世間を騒がす前だったから、先見の明があったのだろう。

 その申し出は私にとっては想像外のことだったが、この事に関しては私よりも弟のほうが熱心だった。

「絶対にこの機を逃さずに話をまとめろ、兄貴は交渉が下手だから俺が口をいれてやる。俺も先方との面談についていく」

 そう言い出すほどだった。

 先方が指定した面談の場所は、当時一番洒落ていた日活ホテル七階のバーで六、七階が吹き抜けという作りだった。

 弟には土地勘があったらしく、当日になると、

「つけこまれないように先にいって二人で一杯やってるか」

 と言い出し、二人で背広を着て早目に待ち構えた。現れた荒牧さんは、学生だと思っていた相手が先に来て既に酒を飲んでいるうえ、「何を飲みますか」などと聞いてきたので、機先を制されたに違いない。
 
 荒牧さんに原作料はいくらですか、と質(ただ)したら、

「三十万円です」

 事前の弟の情報では、「映画の原作料は悪くても百万円にはなる」とのことだったが、新人の原作料は三十万円が相場だという。

 ところが弟が、

「三十万? それはちょっと安いんじゃねえか、なあ兄貴。大映の値段いくらだったっけな」

 と言い出した。相手は驚いて、

「大映からも言ってきたんですか。いくらと言っているんです」

 これに弟は、

「まだ会っているわけじゃないから、なんともね」

 結局、弟に任せているうちに四十万円で手を打つことになった。

 交渉が終わった後に、弟がいかにもこちらが奢るような風に「おいくら」とバーテンに聞いたものだった。荒牧さんが慌てて、「いやいや、ここはうちが払います」と言って遮(さえぎ)ったので、結局四十万円せしめ、飲み代も払わせて済んだ。この頃から、裕次郎とのタッグマッチが始まったと言えそうだ。

 ***

 映画は1956年に公開され、ヒットを記録する。裕次郎さんにとってはこれが芸能界デビューともなった。

 石原慎太郎さんの思想に新たな光を当てた考察は、新潮QUE掲載の記事「石原慎太郎に見る『真のエゴイズム』の価値」で読むことができる。

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。