「お、銭のにおいがしてきたな」…ブレイク前夜の「大木こだま」を鼓舞した吉本大物芸人の“格別な誉め言葉”

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「お、銭のにおいがしてきたな」

 その後、別の機会で大木こだま・ひびきの大木こだま(75)のインタビューをお願いしたら、16年に「今あるのはあの人のおかげ」というインタビューが実現した。そして「おかげ」の相手が中田カウスだった。

 大木こだま・ひびきは、ひびき(71)が真面目に突っ込むのに対し、こだまがダミ声でギャグ「チッチキチー」、「そんなやつ、おらんやろ」「そら、アホやで」と足をすくうボケをかますコンビだ。

 二人は81年に別の事務所でコンビを結成、83年に吉本に移籍した。しかし、いまひとつ波に乗れない日々が続いていた。そんなこだまにとっての助け船がカウスだった。しかも、大学を3回生で中退する前にも、ちょっとした縁があったという。

 漫才師になるのはどうかと考え、旧なんばグランド花月に出かけ、たまたま入口の出番表のトップにカウスの名前があったのでチケット売り場のおばちゃんに呼んでもらったとか。関西風にいえば、「そんなんほかしておけばいい」のにカウスが出てきて、見ず知らずの若者を喫茶店に誘って話をきいてくれた。

〈「どないしたら漫才師になれますんやろ?」ってお聞きしたら、「まずは誰かの弟子になる方がエエんちゃうか」って親身になってあれこれ教えてくれはったんです〉(前出・インタビューより、以下同)

 だが別の事務所と縁があり、大木こだま・ひかりのコンビを結成し、師匠がいないままデビューして「お笑い大スター誕生!!」(日本テレビ系)で10週勝ち抜いてグランプリを獲得した。それからスキャンダルのスッタモンダがあって相方をひびきに代え、再スタート。

 吉本入りは、吉本総合芸能学院(NSC)の第一期卒業生のオーディションもあった83年のこと。一期生といえば、ダウンタウン、トミーズら。また、世はB&B、紳助・竜介らが大人気の漫才ブーム。こだま曰く、

〈そんなこんなのデビューやったけどすぐには芽が出んかった。客席でひたすら勉強させてもらい、時には阪神・巨人さん、のりお・よしおさんらの代演。先輩芸人さんやスタッフのみなさんに顔覚えてもらおう思て、新喜劇にも出たり。そんな時のカウス師匠からの励ましやったんです〉

 それは……。

〈君の性格からしてブームを追いかけたらアカン。自分らの漫才忘れんとずっと頑張ってたら、そのうち“運”が時計の針みたいに、グルーッと一周して、おまえんとこでピタッと止まってブレイイクする〉

 その予言は的中した。87年には「上方漫才大賞」奨励賞をもらうことができた。〈それでも「まだまだ。甘えとったらいかん」思うて、ネタに磨きをかけましたら……〉とこだま。そして3年ほどが過ぎ、カウス師匠が投げかけた言葉が実に振るっている。

〈「お、銭のにおいがしてきたな」とおっしゃった。

 ホンマでした。91年には「上方お笑い大賞」金賞受賞ですわ。そして「もう一息」、こう思うて頑張ってたら96年に「上方お笑い大賞」「上方漫才賞」をダブル受賞〉

師匠の代わり

 カウスはその後も舞台袖からリアクション、声のトーンなど細かいことまでアドバイスしてくれた。

〈師匠のおらん僕らにとってみたら師匠の代わり。ホンマ、ありがたいもんですわ〉

「漫才のDENDO」で取材した際の、カウスのインタビューも染みる。

〈今のテレビのように1分間で何回笑わせるかというバラエティーもええけど、15分かけてじっくりやる漫才師の本気の舞台にも触れてほしい〉

〈番組に登場していた師匠方はいわば生きていくために、食っていくために芸を磨かなあかんかった人たちです。学校にも行けず、人にも言えないようなムチャクチャな生活をしてきましたが、だからこそ命を研ぎ澄ませたような“芸の味”が出来上がったし、その芸には品もあるんです〉

 吉本にはお家騒動やらなんやら色々あったが、それこそ経験豊富な名人の言葉にはいちいち頷きたくなる。

峯田淳/コラムニスト
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デイリー新潮編集部

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